1999年4月 : 普段着の私

寺尾先生の本

永野美恵子 : 大分市

から8年前に友達のすすめでコアラに入会した私たち夫婦はそれ以来、たくさんの友達が新しく出来ました。大分のお友達、県外のお友達、そしてそれは、インターネットができるようになって、95年5月に「我が家のホームページ」を持って以来、世界各地に友達が出来ました。これは本当にうれしいことで、何にもかえる事の出来ない、貴重な私たちの財産です。

そんなお友達の一人に、大分の寺尾先生がおりました。先生は1996年6月にお亡くなりになりましたが、温厚なお人柄で、私が花が好きと知ると、お庭のお花を株分けして下さったり、今もニコニコとなさったお顔を忘れることが出来ません。その寺尾先生がパソコン通信 に「原子爆弾による被爆の記録」を書かれた時(1991年8月)には本当に衝撃を受けました。たくさんのコアラの友人がレスポンスをつけました。それをもっと広く世界の人に知らせたいと思ったのが、教え子でもあった、 松村亮司さんでした。英語でも載せたいということで、夫が英訳をして、インターネットを通じて出来た世界の友人に、英文添削をお願いして、完全英語版のwebページThe Terao Memoirも出来ました。カットを私にということで、緊張しながら松村さんと何度も画像のやり取りをして、原爆ドームの絵を描かせて頂きました。

そのホームページは大変な反響を呼び、あちこちから電子メールで感想が寄せられました。英語のメールは日本語に、日本語のメールは英語にそれぞれ訳して、書かれた方の了解のもと、ホームページに加えてあります。
また、インターネットをしていない人にも知っていただきたいということで、本にもなりました。その時には、同じくコアラの友人の久保木真人さんが、本のカバーを作って下さり、とても立派な本になりました。(1997年10月)webから出来た本ということで、またまた新聞紙上にも紹介されたりして、反響を呼びました。

寺尾先生の本と韓国の教科書


昨年の10月の初めのことです。韓国の馬山にある Changshin College の Sunghee Lee 教授から、寺尾先生の記録を英語の教科書に載せたいのですが、という電子メールが参りました。寺尾先生の奥様とも相談、教科書に掲載されました。先月、出来あがったばかりの教科書が三冊贈られてきました。早速、寺尾先生の御前にお供えすることが出来ました。

お話を頂いたときから、出来あがった時には馬山でご一緒にお祝いをしたいねと話あっておりましたが、それがこの度、実現することになりました。Sunghee Lee 教授ご夫妻ににお会いするのが今から楽しみです。大学を訪問して学長や学生の皆さんにもお会いできるそうです。
過去にいろいろなことのあった両国ですが、寺尾先生の記録を若い人にも読んで頂いて、これからはもう決してあのような悲しいことがこの地球上におこらないように皆さんと一緒に祈りたいと思います。


98年1月:豊の国・大分 99年1月:大分川
98年2月:私の台所
98年3月:息子達の部屋
98年4月:買い物
98年5月:パソコン
98年10月:New COARA
98年11月:友の会


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