今から8年前に友達のすすめでコアラに入会した私たち夫婦はそれ以来、たくさんの友達が新しく出来ました。大分のお友達、県外のお友達、そしてそれは、インターネットができるようになって、95年5月に「我が家のホームページ」を持って以来、世界各地に友達が出来ました。これは本当にうれしいことで、何にもかえる事の出来ない、貴重な私たちの財産です。
そんなお友達の一人に、大分の寺尾先生がおりました。先生は1996年6月にお亡くなりになりましたが、温厚なお人柄で、私が花が好きと知ると、お庭のお花を株分けして下さったり、今もニコニコとなさったお顔を忘れることが出来ません。その寺尾先生がパソコン通信
に「原子爆弾による被爆の記録」を書かれた時(1991年8月)には本当に衝撃を受けました。たくさんのコアラの友人がレスポンスをつけました。それをもっと広く世界の人に知らせたいと思ったのが、教え子でもあった、 松村亮司さんでした。英語でも載せたいということで、夫が英訳をして、インターネットを通じて出来た世界の友人に、英文添削をお願いして、完全英語版のwebページThe Terao Memoirも出来ました。カットを私にということで、緊張しながら松村さんと何度も画像のやり取りをして、原爆ドームの絵を描かせて頂きました。
そのホームページは大変な反響を呼び、あちこちから電子メールで感想が寄せられました。英語のメールは日本語に、日本語のメールは英語にそれぞれ訳して、書かれた方の了解のもと、ホームページに加えてあります。
また、インターネットをしていない人にも知っていただきたいということで、本にもなりました。その時には、同じくコアラの友人の久保木真人さんが、本のカバーを作って下さり、とても立派な本になりました。(1997年10月)webから出来た本ということで、またまた新聞紙上にも紹介されたりして、反響を呼びました。
98年1月:豊の国・大分 | 99年1月:大分川 |
98年2月:私の台所 |
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98年3月:息子達の部屋 |
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98年4月:買い物 |
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98年5月:パソコン |
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98年10月:New COARA |
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98年11月:友の会 |
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