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2006年6月19日~7月11日:ヨーロッパ旅行 大分からスイスへそしてベルギーへ
7月5日、

ホテルの朝食はバイキング形式でした。しかし、コンチネンタルというのでしょうか。お野菜が無くて、、かわいいリンゴを1こ、もらってきました。
今日は以前から行きたかった「アルハンブラ宮殿」の見学です。本当に楽しみでした。

深い緑の路を登ると青空に赤い土の建物が突然現れました。まわりをイワツバメが無数に飛び交っています。

スペイン語、フランス語、英語夫々のグループにガイドがつき、見学していきます。
711年、イスラム勢力はイベリア半島に進出しました。瞬く間に半島を制圧し、当時の西ヨーロッパより遙かに高いレベルのイスラム文化が花開きました。しかしキリスト教勢力はレコンキスタの元、徐々に押し戻し、1492年にはついにイスラム最後の砦であるグラナダを陥落させ再びイベリア半島はキリスト教勢力のものとなりました。グラナダを見下ろす丘の上に建てられたアルハンブラ宮殿は城塞・宮殿・離宮で構成されている。アルハンブラとは「赤い城」という意味で、1238年にナスル朝ララマール王が宮殿の建設に着手、以後21人の王達の手によって増改築が重ねられました。
グラナダ陥落後、街のモスクは破壊されカテドラル(大聖堂)が建設されました。しかしこのアルハンブラ宮殿は完全に破壊されることなく、現在でもその優美な姿を見せています。
これはグラナダを奪還したキリスト教勢力の王が建てた宮殿で、スペイン・ルネッサンスを代表する建築とされています。今は音楽祭の準備で椅子がたくさん並んでいました。

アルハンブラ宮殿は、城塞の役割も大きかった。その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていました。
美しく手入れされた庭園には真っ赤なバラが咲いていました。

塔の上からは昨夜フラメンコを見たジプシー地区サクロモンテやイスラム地区アルバイシンが見えます。
  
「アルハンブラ」とは、アラビア語でアル・ハムラすなわち「赤いもの」赤はレンガの色、漆喰の色、かがり火の色様々な意見があるそうです。

Patio de Arrayanesアラヤネスのパティオ(天人花の中庭)

砂漠の多い地域で生まれたイスラム建築は水が巧みに取り込まれている。インドで見たタジーマハールに似ています。しかし、ガイドさんは「こちらはタージマハールより300年も前に建てられました」と誇らしげに話してくれました。
偶像崇拝を禁じるイスラムの世界では、内装に人物の絵のかわりに幾何学模様を用いました。本当に繊細で美しい装飾です。室内にじゅうたんを敷きクッションに寝そべる習慣のあるイスラムでは、寝転んだ状態で見える天井に装飾がたくさんしてあるそうです。窓も同じ考えだとか。
Patio de los Leonesライオンのパティオ
14世紀に完成した中庭で、中央にあるライオンの噴水から名付けられたようです。
  
大きなくるみの木陰で一休み。水分補給です。
Estanque y torre de las Damasダマスの塔と池

アービングが住んでいた部屋に張られたプレート

各国語に訳されている著書
アメリカ人の外交官であり作家でもあったワシントン・アービング(1783-1859)がアルハンブラ宮殿に住み宮殿にまつわる小説「アルハンブラ物語」を執筆(1832)する。以前、この宮殿内ホテルに泊まって見学をした息子たちがその本を読むようにすすめてくれた。滞在中、またスペインへの飛行機の中でも読んだがとてもおもしろく、実際に現地を踏むとますます興味深く、とうとうグラナダのデパートで記念に購入した。
ヘネラリーフェとはアラビア語で「天の楽園」という意味だそうで言葉通りの美しい水の庭園です。王の避暑のための離宮として使われていました。
シエラ・ネバダ山脈から引かれた水が途絶えることなく庭園を潤しています。噴水は敷地の高低差を生かしたもので、イスラムの土木技術水準の高さを伺わせます。



アルハンブラ宮殿の説明は「(C) FORES MUNDI」のホームページを参考にさせて頂きました。ありがとうございます。
見学を終えて出てきた所にはオリーブ畑が広がっていた。オリーブは世界一の本数を持ちスペインの重要な産業となっているそうです。
グラナダに戻り、大きなカセドラルの見学をする。見事な装飾のパイプオルガンと古い讃美歌の楽譜
グラナダ市庁舎です。入り口の両側には真っ白のペチュニアが飾ってありました。
ホテルの前のショッピングアーケードのディスプレイ、とても情熱的で素敵でした。扇子に髪飾りのお店はちょっと珍しい雰囲気でした。
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