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2001年10月31日:いよいよ旅行も終わり、ワシントンから大分へ
今朝は5時に目覚めました。今日まで使わせていただいたアパートともお別れです。もう一度、部屋を見回して「ありがとうございました、さようなら」とお礼を言って部屋を出ました。アパートのロビーにトランクを運びおろすとタクシーが待ってくれていました。
塚本さんのアパートからワシントンのレーガン空港までタクシーであっという間に着きました。来る時は、テロの影響で閉鎖されていた空港ですが、帰るときは厳重な警戒の元、再開されていました。アメリカンエアラインのカウンターでパスポート検査のあと、トランクを預けることが出来ました。手荷物検査では、キャリーバッグの中身を全部調べられて大変でした。
ワシントンのレーガン空港はそれ程大きな空港ではありませんがとてもきれいです。さすがアメリカの首都の玄関口だと思います。
足元にはとてもきれいなモザイクがはめ込んであります。
夫々、趣が違っていてとても素敵です。
途中、こんな看板が立っていました。ブッシュ大統領が「テロに屈しないとは普通の生活を続けること」だと話したそうですが、本当にそうだと思います。またアメリカに来たいと思います。
やがて飛行機は無事にワシントンを飛び立ちました。すぐにワシントンメモリアルやホワイトハウス、国会議事堂が見えます。本当に目の下といっていい位です。首都のとても便利な所にある空港です。
無事にそれらが遠ざかり、ウトウトとしているうちにシカゴに近づきました。昔、夫が仕事でよく訪れていたミシガン湖畔の製鉄所がよく見えました。
シカゴのオヘヤ空港に着きました。ここから成田行きの日航機に乗り換えです。日本人がとてもたくさんになりました。この日航機はAAとのコードシェア便です。オヘヤ空港の万国旗は健在でここに来ると帰ってきたな、という気がする懐かしい空港です。
そして12時間余の飛行機の旅、ワシントン時間で真夜中という頃に成田空港に着きました。午後の2時過ぎ、気温22度、Tシャツの人も多いというのに私はセーターにコートを持って暑いことです。成田ではAA便で里帰りのシカゴのまゆみさんを出迎えて、お世話になったお礼をいいました。
成田から福岡まで飛び、帰って来ました。旅行中預けていた車を持って来てもらう間、ネオンの多い福岡空港を見て、ああ、日本だな、と思ってしまいました。霧の九州道を走って真夜中、わが家に帰ってきました。11月の2日に変わっていました。ワシントンDCから大分の我が家まで、本当に永い道中でした。
家は近くのお友達夫婦が時々、見てくださっていましたので、安心して過ごすことが出来ました。お世話になりました。翌朝、庭に出て見ました。お花がきれいに咲いていました。留守番をしていてくれたんだなと思いました。
いろいろな方のお世話になり、いろいろな方に守られての私達の旅行でした。本当にありがとうございました。無事に帰って来れて本当に良かったと思いました。
石蕗は黄になべて安穏旅装解く
2001年11月6日:(株)コアラへ行ってきました
旅行中、ホームページアップの件でお世話になった(株)コアラへお礼に伺いましたら、是永さんにインサイダーされてしまいました。