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2001年アメリカ・ドイツ旅行の記録


2001年10月29日:ワシントンに戻ってきました.

「今朝は2度ですよ」と出勤前にテレビニュースをチェックしておられた塚本氏から知らされてびっくりしました.「でも,これは序の口です,雪でも降り出したらもっともっと寒くなりますよ」とかおるさん.やはり冬は厳しいロングアイランドです.しかし,冬を迎える空の美しいこと.


出勤される塚本氏を猫のルナちゃんと一緒に見送りました.私たちの今回の旅行の根拠地を提供して下さり,その上,ニューヨークでも奥様ともどもお世話して下さって本当にありがとうございました,とお礼をいいました.


ラッシュアワーが過ぎるまで,暫くかおるさんとおしゃべり,こちらの電車はラッシュアワーとオフタイムとで料金が違うんです.そしていよいよお別れの時間になりました.かおるさんに最寄の駅まで送って頂いてニューヨークはペンステーションに帰ってきました.ここからアムトラックでワシントンへ帰ります.
まだ少し時間があるので外へ出てみました.エンパイヤステートビルともお別れです.また見ることがあるでしょうか.また見に来たいニューヨークです.


ペンステーションの大きな電光掲示板に列車のトラックナンバーが出るのを見て列車に乗り込みます.


列車は少し走るとすぐに荒涼とした景色になります.エンパイヤステートビルもだんだん小さくなりやがて初冬の森が続きます.


いつのまにか夕焼けになりました.今度またこのアムトラックに乗ることがあるかしら,と思うと今回の旅行のあれこれが思い出されてきます.


いよいよ,ワシントンユニオン駅に着きました.すぐに連絡口から地下鉄に乗ってトランクを置いている塚本氏のアパートまで帰ってきました.ごはんを炊き夕食をゆっくりと頂きました.


2001年10月30日:ワシントン最後の日はアーリントン墓地へ.

とうとう,長いと思っていた私たちのアメリカ・ドイツ旅行も今日でおしまいです.まだまだゆっくりとアメリカに居たいなとも思いますが,そうも参りません.洗濯をしたり,部屋の片づけをしたりしました.午後はまだ行けていなかったアーリントン墓地に行きました.地下鉄ですぐです.


ツアーバスに乗りまずケネディ氏のお墓に参ります.以前にも来たことがありますが,今も永遠の火が燃えています.お墓の前はポトマック川を隔ててワシントンメモリアルや国会議事堂が白く見えます.


広い広い墓地はこのようなバスで回ります.一面芝生に白い墓標がきれいに並んでいます.大きな木があちこちにあり紅葉をして美しい墓地になっています.

幾千の白き墓標に紅葉散る


次にお参りにきたのは,無名戦士の墓です.衛兵が交代で守っています.


ここは南軍のリー将軍のアーリントンハウスです.目の下にポトマック川,そしてワシントンが望めます.ハウスの中はきれいに整えられて見学をすることが出来ます.
しかし,この丘からテロによるアタックで多くの人命が失われたペンタゴンが見下ろせたのでびっくりしました.テロリスト攻撃でまた人命が失われ,悲しむ家族が増えることはどう考えたら良いのでしょうか.


現実に今,戦争を行っているアメリカです.その戦死者をまつる墓地に来て,いつの時代になったら戦争を無くすことが出来るのだろうか,と本当に考えてしまいました.
墓地のツアーを終えて案内所に帰ってきたら,ケネディ元大統領の葬送の行列がお人形で飾ってありました.あの時もテロを全世界の人が憎みました.また今もテロリストを壊滅させたいと思っています.しかし,報復ではない壊滅のさせ方というものはないのでしょうか.アーリントン墓地の見学は私たちの今回の旅行の締めくくりとしてとても相応しいものだったと思いました.


アパートに帰ってきてからは,部屋の整理,トランクの整理と忙しく過ごしました.明朝は早くにこのアパートを発ちます.本当に長い間お世話になりました.ありがとうございました.

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