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2001年アメリカ・ドイツ旅行の記録


2001年10月17日:ドイツの首都・ベルリンを訪ねてその2

朝食後,ホテルの裏にあるキャンプ場に行ってみました,ものすごい霧がかかりそこにあるはずの運河がはっきりと見えません.


運河の側にはキャンプ場がありたくさんのキャンピングカーが停まっていました.霞んで見えるのがホテルです.


朝食後,クラウスさんと3人でベルリンへ行きます.「今日はミスティ,ノルウエーみたいだ」とクラウスさんの表現です.車でUバーンの駅まで行き,路側に車をおいてUバーンでベルリンへ行きました.カイザー・ウイルヘルム教会をバックにクラウスさんと.


まずは広いベルリンの概略を掴むために観光バスに乗りました.日本語を含め6カ国後のイヤホーンガイドがあります.2階建て観光バス,今日は寒いので覆いをかけていますがガタガタと風になっています.左の写真は観光バスのチケット売り場,右の写真は観光バスの窓から写したベルリンフィルハーモニー管絃楽団の本拠地1963年完成・東京のサントリーホールの手本にもなったホールです.


やがて現在ただ少し残っているベルリンの壁にやてきました.1961年8月31日,突如築かれたベルリンの壁,そして1989年その壁が崩された時のニュースを今も鮮明に覚えています.

ベルリンの壁を濡らして時雨かな


ベルリンの壁を写した写真に私の後ろ座席の女性が偶然写っていましたがその女性の厳しい眼差しがとても印象的です.右の写真はTopography of Terror というかってのゲシュタポ本部跡地に作られたナチスの犯罪に関する資料館です.


その次に見えてきたのは,Haus am Checkpoint Charlieです.壁の崩壊以前.この博物館の隣にはチェックポイント・チャーリーという検問所がありました.今.この博物館にベルリンの壁をテーマにしたドキュメンタリーが展示されています.右の赤い大きな星はチェコのチェウセスク政権崩壊の記念に持って来られた星たどか.


左の写真は国立オペラ劇場,そして右は大きなベルリンドーム.しかしその前は大きな工事現場になっています.ベルリンは第二次世界大戦でその都市の80%を破壊されました,その後,忠実に建物も再現していますが,まだまだドイツの首都としては建設途中です.ここもベルリン中央駅の建設途中で2100年の完成を目指しているそうです.


大きな立派な建物が続きますがどこにも背景にはクレーンが写ります.


左の写真は図書館です,きれいな建物です,右は菩提樹の街路樹で有名なベルリン一の目抜き通りのウンター・デン・リンデン通りをバスは走っています.


そしてそのウンター・デン・リンデン通りの起点のブランデンブルグ門にやってきましたがここも残念ながら改装中で全身布に覆われています.門の上の4頭立ての馬に引かれたローマ戦車に乗った勝利の女神像だけ見ることが出来ました.この門のすぐ前にベルリンの壁があったそうです.右の写真は門をバスが通りぬけている所です.


一回りした所でバスをおりました.ここは旧西ベルリンの時代から華やかな繁華街クーダムです.広い歩道にはドイツを代表するブランドやブティックのショーウインドウが並んでいます.まずはベルリンのマスコットで町の中至る所に置いてある熊に挨拶です.


昼食はクーダムの素敵なレストランに入りました.ワインをゆっくり味わいながらおいしく頂きました.


クーダムの入り口のカイザー・ウイルヘルム教会を見に来ました.ドイツ統一を果たしたドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を記念して19世紀末に建てられたが空襲で破壊され平和祈念のために今もそのままの姿をさらしています.


中は記念品が収められています.修復された天井壁画の見事さに目を見張りました.


隣接してモダンなユニオン教会が建てられています,こちらは壁のステンドグラスのブルーが何とも神秘的です.このような美しい建物を作って神を崇める人類が何故,殺し合いを未だにするのか本当に分かりません.


ベルリンの起源はシュブレー川の水運で栄えた13世紀に溯る,大きく飛躍するのは18世紀に入りプロイセン王国の首都に昇格してからのこと.この時代の中心がブランデンブルグ門周辺の旧東ベルリンのミッテ地区,19世紀,ビスマルクの時代には西ベルリン地区に高級住宅地が開発され目抜き通りクーダムが建設された,ワイマール共和国時代には人口400万人を擁する大ベルリンとなる.
黄金の20年代とも呼ばれ数多くのドイツ文化が生まれる.東欧からロシア系,ポーランド系ユダヤ人などの流入がまた文化に影響を与えたことも事実だがナチス政権の樹立とともにかげりを見せ第二次世界大戦のベルリン陥落により米英ソ仏4カ国に管理されることになった.
そしてやがて東西分割の悲劇を生むことになる,左はそのことを記念して作られたオブジェ,そして右はナチス台頭前夜を舞台に映画化もされた「キャバレー」を思わせるショウのポスター.


今度はチェックポイント・チャーリーを時間をかけて見学をしました.ベルリンの壁が築かれる時の街の様子,家の窓から逃げる人,また壁の時代に車のトランクや気球を利用して西ベルリンへ逃げてきた人の実物の車や気球の展示,反対に地下道を掘って射殺された人の記事など壁を題材にした絵画などと共に展示してありました.一体,何のために築かれた壁なのか,人の心をここまで疑心暗鬼にさせるものは何なのかと考えさせられてしまいました.


今日の最後は「インターネットカフェ」です.どこにあるかクラウスさんに聞いて頂いて行ってみました.バーの2階にありました.日本語が読めるか確認をしてもらって席に着きました.日本語は表示出来ますが書くことは出来ませんといわれましたがドイツにきて始めてメールの確認,そして息子達にはローマ字や英語で元気でいることを伝えました.


近くのスーパーで缶ビールやおつまみを買って帰り,ホテルに帰ってからまたクラウスさんと一緒に夜,遅くまでいろいろ話しました.


初めて訪れたヨーロッパ,そしてドイツ旅行ではベルリンへ行くことをとても楽しみにしていました.東西分割,冷戦など近代史で学習したりテレビ新聞で見聞したことなどから,いろいろと想像もしていましたが,実際にこの目で見てみると,もっともっと問題は大きかったことを感じました.まだまだ建設途上のベルリンです.ドイツの首都が十分整備された時,また見にきたいと思いました.

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