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2000年3月12日、母校・龍野小学校、  by Mie
   
武家屋敷の黒い塀沿いに歩いて小学校の角を曲がると、まだ白壁の乾ききらぬ程に新しい大きな門がありました。ここは、小学校のプールの入り口です。右の写真を見ると、小学校だということがよく判ります。母の時代からあったという垣根のからたちが今も元気です。
プールは白壁の塀が高くて中の様子がわかりません。白壁の先には、龍野城があります。
その龍野城の裏門へ通じる登り坂から覗いてみました。本当にプールでした。向こうに小学校の校舎も見えていますね。
城壁の銃穴からプールを見下ろしています。桜が枝を張っていますが、枝越しに大プール、小プール、そして左には更衣室などが並んでいます。
プールの道を隔てて右側には、やはり白壁の中に瓦屋根の大きな建物、こちらは小学校の講堂です。入り口は元家老屋敷の立派な黒い武家門がデンとあります。
   
龍野城は丁度、梅の花の見ごろでした。ポカポカと春の日がお城の白い壁に梅の影を写しています。ここは昔は母の通った女学校がありました。戦後は私達姉弟の通った中学校になっていました。弟が懐かしそうに佇んでいる坂道は、何かあるとよく走らされたそうです。
龍野小学校の正門にやってきました。明治7年龍山小学校として出発、戦後昭和22年に龍野小学校と改称された歴史の長い学校です。
校門を入った所に大きな石碑、龍野小学校校歌が彫り込んであります。「鶏籠のみどりとこしへに 揖保の川原になくちどり・・・」
龍野の生んだ詩人三木露風作詞、山田耕筰作曲による校歌です。

この歌詞を見るとすぐにメロディーも出てきて、母と弟と3人で思わず大きな声で歌ってしまいました。
三木露風は「赤とんぼ」の歌でとても有名な詩人です。龍野で育った幼き日を思い出して作ったという「赤とんぼ」は竜野市のシンボルになっています。いたるところに赤とんぼをイメージしたものがあります。

これは小学校からの帰り道、道路端の溝ブタに印してある赤とんぼです。