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2000年3月12日、龍野の武家屋敷、 by Mie
私は兵庫県の龍野市を流れる揖保川を抱く町、龍野で生まれ育ちました。

城下町の面影を色濃く残す小京都と言われる小さな町ですが、父母も私達姉弟も大好きな町です。昔から文学の面でいろいろ有名な方にもえにしのある町です。

今回、龍野では、亡父の法要を営みました。孫や曾孫などが集まり昔のアルバムを見たりいい集まりが出来ました。

その翌日は穏やかな春の日となりました。母と一緒に家の近くを散歩しました。昔ながらの佇まいの色濃く残る龍野の町ですが、それでもいろいろと変化があります。
   

ここは、我が家から3分ほどの所にある私の友人の家だった所ですが、江戸時代の下級武士の家の様子がよく残っているということで、資料館になっていました。
龍野市は建設省の街なみ環境整備事業によって、この武家屋敷をまちづくりのための集会所、および資料館として保存整備しました。

寛政10年(1798年)の龍野城下町総図によるとここは「芝辻平左衛門」という武士の屋敷であったことが判るそうです。
母屋は天保8年(1837年)に建てられたもので、およそ二人扶ちの武士の生活していた住居としては貴重な遺構だそうです。
  
東南隅の式台のついた玄関の間です。ここで記念写真を撮りました。私達夫婦と母、そして政子さんです。
玄関から控えの間を西に進んで座敷に入りました。この様式は格式を重んじた構成だそうです。
接客のための座敷にはお雛様が飾ってありました。龍野では、お雛様は旧暦で祝います。

控えの間とお座敷の間の欄間です。揖保川で昔、活躍をしていた高瀬舟を曳いている図が精巧に彫られています。
お座敷の廊下とお手水です。その右奥には厠があります。
母屋の北側のたたきの間にはおくどさんが再現されていました。
   
外から見ると一階建て、しかし中へ入ると隠し階段で2階にあがることが出来ます。2階もとても広く、長持ちの置かれた納戸や畳の敷かれたお座敷もありました。
見学を終えて外へ出ました。武家屋敷の黒い塀が向こうの鶏籠山にマッチしています。

道路の右側は私達の母も姉弟も卒業をした小学校です。我が家から小学校の裏門まで3分、近いのでいつも裏門通学をしていました私達姉弟です。

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