2019年4月3日~4月13日:イタリア旅行・・・第八日目 
4月10日:ナポリ~ローマ~ヴァチカン市国~ローマ
ナポリからいよいよ高速一号をバスは走ってローマへ入ります。約230キロ、3時間半の予定です。ヴェスヴィオ火山ともお別れです。

そして午後にまずヴァチカン市国へ行きます。 
 イタリアの田園地帯を通る高速1号をバスは走ります。窓の外に笠松の連なりが見えた。そこには道があるはず、添乗員さんが「左にアッピア街道です」と説明してくれるが、大多数の人がコックリしていてもったいないこと。バスで一瞬でしたが、、、すべての道はローマに通ず。またマラソンの発祥の道、オリンピアの始まり、などなど思い出す街道です。
紀元前312年から建設が始まった、ローマから南イタリアへ通じる道、2300年前からある道、この道を行きかう人、物、様々なドラマがあったことでしょう。

アッピア街道 
馬がいます、なんとものどかな光景です。
自分で写したこの写真、いいな~と自分で見とれています。 
途中で休憩したお土産屋さんにあった仕切りの絵が興味深い、左はヴェスビオ山とビルの建ち並ぶ今のナポリの光景、右はヴェスビオさんがまだ噴煙を上げている昔の光景です。何だか日本のお風呂屋さんの富士山の絵を思い出しました。
バスは高速一号を下りてローマ郊外にきました。今夜の宿の傍を通りました。マリオットホテルです。イタリアでこんな大きなホテルは珍しいです。隣にはトヨタの会社の大きなビルがありました。(ここには写ってません) 
いよいよ町に近づいてきたなと思います。ここでも気になる蘇芳がきれいに咲いていました。
ガソリンスタンドのマークが面白いので写しました。イタリアの各地で見かけましたが、ヨーロッパ全域で見るそうです。大きな会社なのでしょう。
会社の社長が、ロゴマークを作りたいと社員に募集をかけたらなかなか良いのが無い、それを聞いていた可愛い孫娘が絵を描いてきた。「これは何だ?」「この犬がおじいちゃんのガソリンで走ったら、口から火を噴いて、6本足になったみたいに速く走るよ、」と言ったとか。そこでおじいちゃんはこの絵が気に入って、会社のマークにしたそうです。 
ローマの街中です。世界遺産のローマではどこでも観光バスが走れない、止められないということでとて大変です。それにこの混雑ぶり、道路の両側に車が止まっていて走れるのは細い真ん中だけ。
地下鉄も随時普及させたいそうですが、どこを掘っても遺跡だらけで全く工事がすすまないんだとか。本当にそうでしょうね。路線バスは本当に大変そうです。時間にルーズとかイタリア人はノンビリというかそんなこと聞きますが、こんな状況では、開き直るしかないかなと思いました。会社に定時に着くためには、大変な努力がいるでしょう。
そしてやってきたのはお昼を食べるレストランです。何だか雰囲気がおかしいです。停電なんだとか。
レストランの内部です。私たちの席は奥に見える二階席です。これ今、停電中なんです。ガラス張りだから明るいですけど、、トイレなんて真っ暗。しばらくしたらトイレにろうそくが来ました。
今日はカルボナーラです。私の好きなスパゲティです。 とてもおいしかったです。チーズがおいしいのでしょうね。
この壁の絵がとてもおしゃれです。これを写したのは、電気が灯って、皆が思わず拍手したから~~ 
豚肉のソテーです。ちょっと固いけれど、おいしく食べました。脂身はきれいに取り除いてある、そして、オリーブオイルで焼きます。お友達と話したことですが、動物の油は体に悪いので取り除いて、植物性のオリーブオイルで焼くのよね、ということで落ち着きましたが、、やっぱり固いですから、何が良いのかむつかしいですね。 
ドルチェはバーバリアクリームとかなんとか、言ってましたが、濃厚でした。さっきのお肉への気配りも、これで帳消しみたいに濃厚でした。とってもおいしいですが、、 
 ローマの大通りです。並木が美しいです、しかし、やはり、車が一杯で、大変です。
 たくさん食べたので、歩け歩けもまた良きかな?です。イタリアからヴァカン市国に入国しました。と言ってもパスポートも見せること無し、大事に奥まったところに格納しましょう。
この長い長い行列はヴァチカン美術館などへ入る人の行列です。イタリア人のガイドさんは、この人たちはどのくらい待ったら入れるのかわかりませんね。私たちは予約を入れているのでもうすぐ入れます。でもこのシステムでは本当に待つ人が気の毒です。良くないです、と話してくれました、
バチカン市国は周りをイタリアに接する国で独立国としては世界最小の国です。デズニーランドより狭い、皇居の8分の3だとか。人口は800人ほど、バチカン宮殿、サンピエトロ寺院、バチカン美術館が外国人が入って見学ができる所だとか。私たちもこの三つを見学させていただきます。
いよいよ入り口が近くなりました。右の白い門がありますが、私たちは写真正面の門を入ります。そして荷物検査を受けます。 
 
行列をしている石垣の右にある白い門は、美術館の らせん階段を下って出てきたらここが出口になるのだとか、門の上の人は、ラファエロとミケランジェロです。どちらがどちらだったか、聞いた時は納得して見たのですね、わからなくなりました。
 中へ入ると、荷物検査をしたり、ツアーの団体が集まって、解説用のレシーバーを装着したり、準備します。上のディスプレイはヴァチカン国の様々な映像が流されています。こちらは教皇様ですね。
 ヴァチカン美術館の数は大小合わせて24、その総称がヴァチカン美術館です。展示コースは全長で7kmにも及ぶそうです。建て増しも繰り返されています。ここは「ピーニャの中庭」というそうです。ブロンズ製の巨大な松ぼっくりが壁龕の中央に置かれています。1~2世紀頃に鋳造されたものだそうですが、
松ボックリの両脇の階段はミケランジェロによる設計。とのことです、修復工事中でしょうか、壁も新しくなり、下部はまだ覆いがしてあるみたいです。
バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたフレスコ画で1541年に完成した。撮影禁止の『最後の審判』です。ルネサンス期の芸術家ミケランジェロの代表作です。これはピーニャの中庭に設置されたパネルを写しています。
システィーナ礼拝堂は祈りの間、静かに鑑賞するために、外でレクチャーを受ける。これがそのための写真です。これは写しても良いから中ではだめですよと固く言われました。ここへ入った時は、びっしりの人で大変でした。 
 右上は、[アダムの創造」有名な絵ですね。実際を礼拝堂で見た時は、胸がジーンとなりました。ミケランジェロの絵が今も多くの人にインスピレーションを与えているのだなと思います。
 ミケランジェロの大作(製作年?: ?1536年? - ?1541年)「最後の審判」が祭壇の前面から天井へと描かれている。立体的に見えたりするだまし絵のような描き方で、キリストが再臨して人々を裁く様子が描かれている。クレメンス7世の依頼で制作に取りかかったそうです絵の大きさは14.4×13.3m。その中に人が合計391人も描かれているそうです。それを5年かけて一人で描いたとか、もはや人技とは言えない気がします。画家であり、建築家であり、詩人でもあったとか。
ミケランジェロは1475年生-1564年没、88才でした。
行政官の父のもとに生まれ、13歳のときにフィレンツェの画家ギルランダイオに弟子入りしました。
2階のギャラリー「大燭台のギャラリー」に続く「タペストリーのギャラリー」です。床のモザイク紋章や、天井画がとても美しいです。  
とてもきれいな紋章、柵をおいて守られて今した。流れ星の図柄ですね。どなたか大事な方の紋章でしょう。  
天井は金を基調として豪華絢爛な絵画で埋め尽くされています。まばゆいばかりの、「地図のギャラリー」です。グレゴリウス13世が1580年から1583年にかけて描かせた幅6m、長さ120mの大ギャラリーの壁面にイタリアや教皇領の地図40枚がフレスコで描かれています。左のイタリア地図がとても興味深くしげしげと見ました。
グレゴリウス13世が使っていた暦を修正して今に至るグレゴリオ暦の制定をした王様なのだとか。私たちも関係があるのですね、
ヴァチカン美術館から サン・ピエトロ大聖堂へと移動します。
 
「聖なる扉」です。廊下から聖堂内に入るための扉ですが、25年に一度しか開かない、普段は開かずの扉となっている、次回開くのは2025年だそうです、 
ミケランジェロ26歳の作品「サン・ピエトロのピエタ(慈悲)像」です。1498年にミケランジェロはフランス人枢機卿からピエタ像の制作依頼を受けた。彼の数ある彫刻の中でもダビデ像と並ぶ最高傑作です。
1972年5月21日(聖霊降臨祭の日)に「俺はイエス・キリストだ」と叫びながら鉄鎚でマリアを叩き壊したという事件があったそうです。
事件後には綿密な修復作業を終えてサン・ピエトロ大聖堂の元の場所に戻され、現在では防弾ガラスのパネルによって保護されています。
教会の中には、さまざまな名画が収められていました。これもそんな中の一枚です。
人が多くて、近づけず写したいけれど写せない絵もたくさんありましたが、中でも「イエスの変容」という旧約聖書の中に出てくる姿を描いた絵がとても有名な作品でした。画像はネットからお借りしました。
イタリア生まれの聖母の画家ラファエロ・サンティ(1483年~1520)作です。画面の中央で両手を広げて舞い上がっいるのが主イエス、そして右にモーセ、左にエリヤ、足元の岩に伏しているのがイエスの弟子、ペテロ、ヨハネ、ヤコブです。

カトリック教徒の総本山サンピエトロ大聖堂の内部です。 4世紀、聖ペテロが処刑された場所の上にコンスタンティメス帝が建設し、その後16世紀に再建。新しい教会の設計はプラマンテからミケランジェロ、ベルニーニと引き継がれ、ベルニーニが柱廊に囲まれた広場を追加設計して現在の姿になったそうです。後ろに見える黒い柱のある建物はバルダッキーノといいます。その前には「聖ペテロ像」が置かれています。
バルダッキーノの手前には『聖ペテロ像』
信者の方々が順番に像の足に触れていきます。  
サンピエトロ大聖堂のクーポラとその下に見えるバルダッキーノです。法王の説教壇の上にかかる天蓋のことですがベルニーニの作になるこの大天蓋は、他の教会に見られるそれとはまったく趣を異にする斬新なデザインになっています。ブロンズ製の4本の柱がうねりながららせん状に登っていく感じに出来て
います。この巨大なブロンズ製の天蓋の真下に、聖ペトロのお墓があります
サンピエトロ大聖堂では厳粛な気持ちになりたかったのですが、余りの人の多さ、目もくらむような大きな空間と黄金やその他のきらめきにちょっと驚きました。どう対処して良いのか、びっくりが先にたってしまってただただ眺めていました。
外へ出ると、衛兵が門を守っていました。その華やかな制服にびっくり、スイスの傭兵とのことでまたびっくり。バチカン市国とローマ教皇を警護する衛兵ですが1505年に教皇ユリウス2世が当時世界最強だったスイス傭兵を採用したことから今につながっているとか。21世紀現在では数少ない傭兵隊であり、現存する国軍では創設時期が最古の軍だそうです。
後ろの建物がサンピエトロ大聖堂です。出てきたところは広い広いサンピエトロ広場です。中世の世界から外へ出たようで青空を見上げ、大きく息を吸い込みました。 
 教皇様に会うための椅子席、膨大な数です。バチカン市国のシステムなどは新しい教皇さまを決めるコンクラーベの様子などから、もっとアナログの世界かと思っていましたが、とんでもない、世界中から物凄い数の訪問者がある、この人たちを事故無く迎え送り出すためのシステムはとても考えられていると思った。この椅子を並べるだけでも、そしてここに座る人たちを誘導することだけでも、どれだけの準備がされているか、驚きの世界だと思った。
椅子の後ろの列柱はベルニーニの作、四重の柱列が取り囲む大広場です。そして広場の中心に立つオベリスクは高さ25m、西暦40年ごろにエジプトから運びこみました。ここがまさしくペテロが逆さ十字架にかけられた所です。
クーポラのあるサンピエトロ大聖堂、その右奥がコンクラーベ(カギをかけて行う教皇選挙)の行われるシスティーナ礼拝堂、そこから上がる煙突の煙の色で判断をします。もうだいぶん前ですが、教皇様を決めるコンクラーベを何日かにわたってテレビのニュースで煙の色が黒いとか放映したことを覚えています。
広場のあっちこっちを見て、目に焼き付けて、バチカン市国とお別れしました。その後はまたイタリアに戻り、バスに乗ってローマ車窓見学です。
映画「ローマの休日」でロマンチックなシーンのロケが行われたサンタンジェロ城。

139年にハドリアヌス帝のお墓として建てら後に6世紀頃からはテヴェレ川右岸にあることもあり、要塞として使われ始めます。かつてローマでペストが大流行した際、教皇がこの城の上で大天使ミカエルを見た後、ペストが終息していったという伝説からサンタンジェロ(聖天使という意味)と呼ばれているそうです。
テヴェレ川です。バスはこの川沿いをゆっくり走ります。あちこちキョロキョロしなくてはいけない見どころばかりです。
ローマの街全体が「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」として登録されています。バスの窓か急に飛び込んでくる建物ですが、とても趣があって、素晴らしい風景になっています。 
テヴェレ川、並木、対岸は、古い建物に、笠松の並木、なんとも素敵な歴史遺産の都会です。 
ローマ時代の遺跡の柱、アーチの門、彫刻、ここはローマで一二を争うファッション通りなのだとか、ロゴの入った紙袋を下げた人が行きかいます。素敵なドレスを買ったのでしょうか?2000年の街で最新ファッションを買う。何だか夢のようです。 
今夜の夕食は街中のレストランで鶏肉のサルティンボッカ でした。
サルティンボッカとは、手早くできる料理、というようなあまり手をかけずに材料の持ち味を生かす家庭的な素朴な料理などをいうそうです。牛肉、豚肉、鶏肉などとハムを使ったり、手軽なお料理のことのようです。デザートはレモンシャーベットでした。

ごちそうさまで外へ出ると、夕焼けがきれいでした。夕方の7時過ぎです。
  
明日の見学の予定だったコロッセオが突然、目に飛び込んできました。添乗員さんも慌ててます。「あ、あイタリアのガイドさんがコロッセオの説明をしたかったろうに、皆さんがわ~~と今のように感嘆の声を上げるのを聞きたかったと思う」と言われたのがおかしかったです。ドライバーのジョバンニさんがサービスしてくれたみたいです。
糸杉と夕焼け雲もなんとも素敵ですね。 
私たちはホテルへ向かう道ですが、反対側は、車がたくさんたくさん、ライトをつけて走っています。笠松の並木の道を家路に急ぐ、車。という所です。  
 突然にピラミッドが現れてびっくりしました。急いでシャッターを切りました。
「ガイウス・ケスティウスのピラミッド」と言います。、イタリアローマ市オスティエンセのオスティエンセ街道のサン・パオロ広場にあるピラミッド。紀元前18年から12年の間に建造されたもので、古代ローマの執政官、法務官を務めていたガイウス・ケスティウス・エプロの墓です。
2015年、このピラミッドの修復(真っ白に戻すことなど)を日本の八木通商がミラノオフィス開業40周年の感謝の気持ちを込めて単独支援で行ったそうです。長い歴史の中では、敵を防ぐ防壁に取り込まれていた時期もあったり、またそれを壊して元に戻すことでなお汚れたりということがあって今回、大理石が白く見られるようになったとのことです。
今夜のお宿、マリオット ローマパーク に着きました。回転ドアを押して中へ入ると広い広いロビーが広がっていました。大きなホテルです。そしてお部屋もゆったりと広くて気持ち良いです。今夜はぐっすり眠りましょう。明日はいよいよローマ観光最終日、そして、帰国です。
戻る   続く