2019年4月3日~4月13日:イタリア旅行・・・第五日目 
4月7日:フィレンツェ~ピサ~フィレンツエ
フィレンツエで泊ったカンファレンス  フロレンティアのお部屋から見ると、丘の上に糸杉と一緒に建っているとっても素敵な家が見えます。気持ちよいだろうなと思ってみていました。
今夜は連泊でまたここに戻ってきます。気分が軽いです。手荷物だけ持って、さあ出発です。
ホテルの前庭にも素晴らしい糸杉があります。夫と背比べ?一緒に写しました。 
 バスでピサまで走ります。約90キロ、1時間半の予定です。ピサの斜塔で有名なピサはガリレオ・ガリレイの生まれた所でもあります。車窓の風景はイタリアの田園地帯、菜の花か、芥子菜か、きれいに咲いている畑もあります。
道路沿いに糸杉、笠松などが並木として植わっている、いかにもイタリアの景色、うれしいです。 
 
ピサに着きました。世界遺産の町に入るのはこの連結車です。お友達とおしゃべりしながら、楽しい時間です。
ピサの斜塔は、世界遺産「ピサのドゥオモ広場」の鐘楼です。その敷地に到着しました。やはり人が多いです。
 ああ、傾いています。本当に傾いている、改めてびっくりです。何故、こんなに傾いているの?こんなに傾いているのに、何故建っているの?などなど疑問がわいてきます。

1173年に着工し8層の円筒 高さ55メートル、10.5メートルまで建てた時に地盤の陥没で傾斜したのに、そのまま建てて行って1350年に完成したのだとか。

建て続けるというのにも驚きましたが、完全に倒れないで今にある、その微妙な平衡感覚にも驚きます。

斜塔は兵士がしっかりと守っています。
 
ピサの斜塔は登ることが出来ます。しばらくは修理のために登れなかったそうですが、安全と確かめられて今は人数制限をしたりしながら登ることが出来ます。階段は296段、無理な人は登らないようにとのこと、私たちは登りました。しかし、斜めの建物を渦巻き状の大理石の階段を登るのは気分が悪くなりますね。 
 しかし、登り切りました。展望台から下を見ると人がゴマ粒です。また大聖堂は十字架の形をしていることがくっきりとわかります。この大聖堂は1063年、サラセン艦隊をパレルモ沖で撃破した記念に建てられたとされています。
後で見学に行きましたが、サラセンの香りが一杯の厳かな聖堂でした。
 赤い瓦屋根の家が連なっている美しい家並みです。外をじっと見つめると、ちょっと気分悪いです。傾きということは体になじまないなとつくづく思います。
鐘楼です。鐘もなりました。しかし、それは録音でした。実際に鐘を鳴らすと傾斜に影響を及ぼすと考えられています。 
1990年から2001年に行われた工事によって現在は3.99度の傾きに抑えられているとのことです。 
 時間がたつと、少し気分も良くなりました。改めて下界を眺めます。
夫も気分悪かったようですが、今は風を受けて元気になりました。 大聖堂が本当にきれいで大きいです。
見学を終えてまたらせん階段を下ります。大理石の石段は800年程の人々の歩みにすり減っています。
人一人がやっとの石段を下りますが、やはり傾いている中を下るのは大変です。その上にツルツルの大理石です。
ピサの斜塔の入り口ホールまで無事に降りてきました。まだ体の傾きはすぐには戻りませんが、無事に登って降りてこれてうれしかったです。少しは斜塔をもとに戻しましょう、と、エンヤ!とちょっと押してみました(笑い) 
  
さあ、これでお仕舞ですよ、最後の記念写真をと、添乗員さんが声をかけてカメラを受け取って下さった、
夫も記念に少し斜塔を押しました。だいぶん傾斜が小さくなったかな?
また連結バスで観光バスのところまで戻ります。雨が降ったりやんだり、気まぐれなお空です。。、 
 木立の向こうに、あれ何?水道橋でした。ルッカの水道橋、とか作った人の名前をとって、ノットリーニの水道橋とよばれています。1823~1832年に作られました。19世紀の作でイタリアでは新しいです。高さ12m、延長4キロ、459のアーチが連なっていました。今は、フィレンツエ~ピサ間の高速道路の二度にわたる工事で分断され、水道橋の役目を終えました。しかし、風景としては素晴らしいです。走るバスから写真が写せてうれしかったです。
ルッカと言えばプッチーニの生まれ故郷です。『ラ・ボエーム』と『トスカ』、『蝶々夫人』『トランドット』などとても有名です。 

続いてバスの外を見ていたら何か不思議、きれいに小さな木が並んでいます。
ピストイアという街で植木屋さんの多い町とのことです。西洋庭園、もちろん、ここが西洋ですから、どういうのかわかりませんが、普通に庭園と言えばよいのでしょうか、九州で言えば、田主丸のような街でしょうね。刈込がまるだったり、三角だったり、そのままお庭に植えると、きれいな庭になる、という植木屋さんの植木が広い場所に続いていました。 
居眠りの方も多かったですが、私にはとてももったいなくて寝ていられません。窓の外も本当に面白いです。 
まもなくフィレンツエですがその手前にある町が繊維産業の町、中国人の多い町として有名なプラート
です。ということで今日のランチは中華料理です、と添乗員の杉野君です。
 メディチ家礼拝堂、ヌムール公ジュリアーノ(ロレンツォ豪華王の三男)とウルビーノ公ロレンツォ(ピエロ・デ・メディチの息子、ロレンツォ豪華王の孫)は、各々1516年と1519年に若くして没した。各々の兄であり叔父にあたる教皇レオ10世は、彼らの死を悼んでミケランジェロに彼らの墓廟をサン・ロレンツォ聖堂に造営するよう依頼しました。ミケランジェロの最高傑作のひとつに数えられているそうです。
サン・ロレンツォ教会、15世紀に建てられた正統派ルネッサンス様式の建物で、正面部分は現在も取り付けられておらず、未完のままの状態です。2階にあるラウレンツィアーナ図書館には、メディチ家の人々が収集した蔵書が収められている図書館は1520年に、ミケランジェロによって設計されました。外観からは想像ができないほど、優雅で美しい内装なのだとか。
 
 中国人の多い町として有名なプラートがすぐ近くということで中華料理がおいしく提供されるお店も多いようです。今日のランチは中華料理でした。
テーブルの4人で分け合っていただきます。卵のスープ、春巻き、チンジャーロースー、やさいと肉の炒め物、などなど、おいしかったです。、
美しいレリーフで飾られている「天国の門」旧約聖書の10場面が、10枚のブロンズパネルに彫像してある何とも豪華な扉です。 この扉はレプリカで、本物はドゥオモ博物館に保存されています。
フィレンツエの街並みからひときわ目立つ赤いクーポラが 「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)」です。左から洗礼堂、クーポラ、そして高さ84.7mのゴシック様式の鐘楼、ジヨットの鐘楼と言います。
イタリアの旅行案内では必ずといって良いほど、この赤い屋根のクーポラが街並みからひと際高く映っている写真が載っていました。いつかここに行ってみたいと思っていましたがやっと実現しました。雨が降ってちょっと残念ですが、、、記念写真もうれしいです。
それにしえも寒いです。 
 街角のお店のショーウインドウには、ピンクのかわいいイースターエッグがたくさん飾られていました。チョコレート屋さんです。
ここはフィレンツエの観光の拠点と言われる「レップリカ広場」です。 共和国広場の意味でイタリア共和国が出来た1946年に各地の広場に命名されたとか。メリーゴーランドがあり、ドゥオーモの近くです。、
 幸運を呼ぶ猪だそうです。市場のようなお店の傍に居ました。お鼻をこすると、お金が溜まるとか、金ピカに光ってます。 
フィレンツェ歴史地区の観光です。後ろ、アルノ川にかかる屋根付きの橋、 ヴェッキオ橋です。古い橋の意味でフィレンツエ最古の橋です。橋の上には宝飾店が立ち並んでいます。気をつけてください、迷子にならないように、と、人込みは、懐中物に気をつけて歩かなくてはです。
ヴェッキオ宮殿の回廊で雨宿りです。大勢の人が居ます。本当に気まぐれな雨ですね。でも、こんな素晴らしい宮殿に入れるなんて、
雨が上がり、青空が見えてきました。こんな細い路地を通ります。空も細長いです。自由時間です。さあ、どうしましょうか? 
  
シニョリーア広場に張り出した椅子席に座ろうか、と、休むことにしました。今度集合すると夕食の時間ですが、なんとも野菜不足を感じるのでおやつにサラダ?を食べることにしました。大きなモッツアレラチーズが乗っていて、キンキンに冷えていてとてもおいしいです。

通りかかったお友達が写しましょうか?とカメラを持って行って写してくださる、と、お店の青年がヒョイとピースマーク。剽軽なサービスです。
お店のショーウインドうを見ると、フルーツポンチがマグカップに入っている。ああ、これも、と、頂く。冷たくて甘くて疲れが取れます。と、次々とお客様が座られて、私たちが呼び水になったようです。 後ろの建物はヴェッキオ宮殿です。

今夜の夕食は鶏料理のチキンカチヤトーラでした。漁師風料理のこととか、トマト味の鶏肉の蒸し煮です。おつまみにビスコッティが出ました。 バターをまったく使わずに作るビスコッティはヘルシーですが基本的には少々固いのでワインやエスプレッソに浸して少し柔らかくしながらいただきます。“ビスコッティ”は日本でもお馴染みのイタリアの焼き菓子、しかしここ発祥の地トスカーナではカントゥッチと呼ばれています。
 ヴェッキオ宮殿は、当時のフィレンツェ共和国の政庁舎でしたが、その外観はまさに要塞のごとく堅固、しかし中は大変豪華です。フィレンツェ共和国の歴史の焦点であり、原点でもあり、今も市の政治的中心地です。周辺にヴェッキオ橋、ドゥオモ広場、ウフィツィ美術館へ向かう道などがあり、観光客もとても多いです。
いよいよホテルへ戻ります。観光バスが何とか停止できるアルノ川の傍まできましたが、少し迷子さんたちが出たようで、添乗員さんが慌てて迎えに走りました。
夕焼けが赤く川面に映ってとてもきれいです。バスはあまり長く止まれないので急ぎます、と言いながら写真を写しました。
夕方7時ごろの夕焼け雲です。本当に不思議なくらに真っ赤です。 
この夕焼けで明日の天気はどうなるでしょうか?もうよく雨に耐えたので明日からは良い天気になってほしいです。バスでホテルまで帰りました。このホテルは元、シェラトンホテルだったそうです。立派なホテルですが大き過ぎて~とも思います。 

明日はいよいよ列車の旅です。
戻る   続く