2019年4月3日~4月13日:イタリア旅行・・・第二日目
2019年4月4日:ミラノのホテル~「最後の晩餐」~ドゥオモ~ガレリア
4月4日
ミラノのホテル~「最後の晩餐」~ドゥオモ~ガレリア

イタリアでの初の朝食です。ああ、これがコンチネンタルスタイルだと、思いました。本当にお野菜がありません。コーヒーはイタリアのカプチーノです。
朝食後はトランクをバスに積んでミラノ観光に出発です。 旧市街へ入ります。古い建物、街路樹はマロニエ、時々、紫のお花はあれっ?藤の花です。大きなビル、見たことある字がと思ったら、OMRONと書かれています。日本の会社オムロンのビルでした。マウスを写真に当てて見てください。
 ミラノは、イタリア語ではミラーノ、英語やフランス語ではミランと発音されるとか。ローマに次ぐ第二の大きな町、緯度的には稚内と同じくらいですが、気温は5度と比較的暖かな所だとか。北部で良質の生糸が出来た関係で昔から繊維産業が興ったが、今はミラノコレクションに代表されるファッションの町としても有名です。
是非、来て見たかった都市です。
 紀元前600年ごろのケルト人の町が元になっている、紀元前222年五ローマが制服し、それ以後、ローマ帝国で繁栄をした。

1296年に大聖堂を取り壊して着工、1469年に完成したサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の付属の食堂にダビンチの描いたフレスコ画の「最後の晩餐」がある。

教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受けて大きな被害を受けたが、「最後の晩餐」の絵の前に土嚢が積み上げられていたためにかろうじて被害を免れた。
 
厳かな雰囲気の教会を写していたが、その隣の食堂の壁に「最後の晩餐」は描かれていたと聞いて、一斉に付属の建物の方に人が動いたのでちょっとおかしかった。入り口には世界遺産のプレートが張られていました。復元はされましたが、とても貴重で繊細な絵ということで、閲覧の手続きはとても厳格だそうです。 
完全予約制で、鑑賞時間は15分と決められています。別室の廊下までの入場を認められ、時間が来るのを待ちました。
やっと中へ入れました。
まず、悲惨な爆撃後の写真が胸を打ちます。 
  
そして残されていた部分の洗浄、復元で美しくなって壁一面の絵が見られます。絵の上方には紋章や花綱が描かれた半月形の装飾のリュネットもレオナルドの筆になるそうです。フラッシュなしでの撮影が認められていて、薄暗い中、皆は写真を写しました。
中央が赤い服を着たキリスト、そして12使途が描かれています。キリストの足の部分は黒く切り落とされています、これは昔、ここに食堂と台所を結ぶ入り口を設けた時に切り落とされたとのこと。完全復元でそのままに暗く塗られています。 
 
ダビンチのテンペラ画の技法で描かれたがその環境も悪く、17世紀末ナポレオンオンの時代には馬小屋として使われていたり、二度にわたる大洪水にあったりと今現在この絵があること自体が奇跡と言われている。
一点透視図法で描かれた「最後の晩餐」の反対の壁に描かれているはりつけにあったイエスを降ろした時の図、です。こちらは遠近法は用いられてないそうです。
15分の時間が来たようです、そろってこの部屋を出ます。美術館の記念品売り場があり、庭やベンチもある別の扉から外へと出ました。
また少しバスに乗って、ガレリア・ヴィットーリオ・エマヌエール2世にやってきました。1860~1870年代に建てられたこのガレリアは現代の建築ではなかなか見られない繊細な意匠が大きな特徴。ミラノを代表する近代建築なのです。、
また雨がぱらついています。でも、今からガレリアに入るので良かったなと思いました。これはガレリアの前にあるスカラ座です。
皆さんがカメラを向けているの先には、、、
はい、こちらの人を写していました。今から解散をしますが、自由時間の後の集合場所がここということで皆さん、カメラに収めています。それにそれだけでは無い、この像の人は、かの有名なレオナルダ・ビンチさんです。下には4人の若者が立っていますが、お弟子さんたちです。
レオナルドは、ミラノの近くのダビンチ村で生まれたとのことです。とても才能豊かな人で、絵や彫刻だけでなく、建築、哲学、数学、 解剖学、天文、気象学、地質学、・・・・もう書ききれないほどの才能の持ち主、その上に容貌も優れて美男子だったとある。
ガレリアに入ると、周り中をキョロキョロしたくなるほどに見事です。足元にはイタリア王国及びミラノ、トリノ、フィレンツエ、ローマの紋章が、モザイク細工で作られている。その中のトリノの紋章に面白い伝説がある。牛が描かれているがその急所にかかとをつけてクルリと回ると幸せが訪れるとのこと、旅行客はもちろん、地元の人たちの多くがくるりと回転するために大きくくぼんでいるという。
 ツアーのお友達も大勢がチャレンジして写真の取り合いをしていました。
 ここはちょうど、ガレリアの交差点の場所に当たります。その上の天井を見上げると、とても高いガラス張りの天井になっています。そしてその四隅にはそれぞれに、世界の人たちをモチーフにした絵が描かれています。アメリカ、アフリカ、中国、北欧を描いたフレスコ画があり、ここが世界の十字路という自負も見えました。
 このガレリアは、ドゥオモ広場と、スカラ座広場を結んでいる。スカラ座広場から入ってすぐに「ボルサリーノ」という帽子のお店がある、そして、プラダ、ルイ・ビトン、トラサルディなどのブラント店が入っています。
 こんな美しい文様も敷かれている。
ガレリアを通り抜けると、ドゥオモが目の前に飛び込んできます。華奢な マーブルレース細工と言えそうな触れると崩れそうな感じがします。ガイドさんが写して下ったのですが、上が切れててちょっと残念です。
 
全体を写したくて、相当に下がって写しました。
中を見学するかどうするかと本当に迷いましたが、時間的に無理のようで止めましたが、残念でした。
ドゥオモの建設が始まったのは1386年のことでしたが、とても難航しました。
最終的にはイタリアを占領したナポレオンが完成をさせました。1805年のことで、工事開始から500年が既に経っていたとのことです。
その後も様々な改築もあったりして完全に完成をしたのは1965年のことだとか。高さ108m、奥行き158m、145本の先頭と2000体とも3000体ともいわれる彫刻、という世界最大級のゴシック建築となりました。

 入り口の「青銅の大扉」です。右側の扉には、マリアの受胎からキリスト誕生までが掘られています。左はキリストがマリアや祖母のアンナに別れを告げて拷問を受け、磔にされるまでの場面が描かれています。
 像の所々がピカピカに光っている所があります。どうも見ていると、人がキリストをなでたくなるそうです。やっぱり見ていたら撫でたくなりました。また少し光ったでしょうかね。
字の読めない昔の人に、紙芝居のように絵を描いて出来事を伝えていたのでしょう。
またガレリアに戻ってきて、どうしようか、、あの古いって言われたカフェでコーヒー飲んでのんびりしたい、と、入ることにしました。「リストランテ ガッレリア」です。 ガラスで覆ってあって、室内のような温かさにしてある、

外から見た絵がそのままに描かれて飾られている。
カフェラテ、かわいいお花を描いてもってきてくださる。ピンクのカップ&ソーサ―もなかなか良い感じです。 
テラス席のウエイターさんがカメラを見て写しましょうか?と申し出て下さったので、一枚お願いしたいなと思っていたら、パチリパチリと数枚写してくださって、とっても良い記念になりました。
  
 あちこち見学に行かれていた皆さんも前を通って帰ってこられた。写しましょうか?とカフェを出たばかりの私たちを写してくださった、いろんな方に親切にしていただいたツアーでした。
約束の時間に約束のダビンチの像の前で集合、また雨が降り出しました。明日は止んでほしいなと皆の願いです。広場に出ていたのは、今、開かれているミラノウイークの催し物のポスター、ミラノコレクションに代表されるファッション、縫物の盛んな町、待ち針がたくさんさしていある図柄になっています。 
 雨の中、昼食を食べるレストランへと走ります。窓から建物や、ウインドウを見ているのはとても楽しいです。パヒュームの広告かと思いますが、美しいです。
洋装店のショーウインドウでしょうか、ドレスを着たマネキンが立っています。おしゃれですね。 
雨模様の空が少し暗くなってきました。街路樹の緑がまだ出そろわない感じの様子がとっても雰囲気があります。 
この教会は?名前がわかりませんが、中世の雰囲気と、古風な感じの電車が昔の白黒映画のワンシーンのようです。 
今日のお昼はミラノ風リゾットだそうです。ちょっとどんな感じか心配でしたが、一口食べて、とってもおいしくて、うれしかったです。 
 メインはミラノ風カツレツ、お肉をたたいて薄く延ばしてパン粉で上げてある。ウィーンカツレツに似たものです。との解説に納得しました。
まだまだ雨の中、バスはベローナへと走ります。 
戻る  続く