昨年の暮、ドイツから電話がありました。「4月に鹿児島へ行くので会いましょう。」この前に会ったのは、4年前、龍野でした。
クラウスさんとは、私のHPがご縁で知り合ったお友達です。2001年には、クラウスさんを訪ねてドイツ旅行もしました。それ以来、日本へ来られると、お会いしています。博多で、阿蘇で、神戸で、龍野で、いろいろなところで会いました。とても日本贔屓のクラウスさんです。
4月1日、


今日を楽しみにしていました。大分から、高速バスで鹿児島へ向かいます。
長距離バスは、車内もゆったりです。座席は、3列です。足元は、寝ることも出来るように、フットレスとがついています。
大分発8時35分、鹿児島中央駅着13時59分の予定です。
大分から、竹田経由熊本へ、熊本から高速道路に乗って、五木経由鹿児島です。初めての高速バスでの鹿児島行きです。
途中、菜の花に麦畑の美しい田園地帯を走ります。
また、霧の立ち込める、山の中の道を走ります。一度、パーキングエリアで休憩、その後、ひたすらバスは走ります。
予定通り、鹿児島中央駅に着きました。さすがに5時間半のバスの旅は疲れました。
鹿児島中央駅は、来春の新幹線開通に合わせて、リニューアル、美しくなっていました。
何時見ても、駅前広場の「若き薩摩の群像」は素敵です。
今回のホテルは、JRホテル鹿児島です。こちらも3月18日に新装オープン、お祝いのお花がたくさん飾られていました。
ホテルのロビーは、とてもシックです。
お部屋も、シンプルで落ち着けます。ベッドカバーには、薩摩絣が、使われていました。こんな心遣いもうれしいです。
一休みをして、夕方まで、シティービューバスに乗りました。観光地で乗り降り自由の一日パスを購入。先ずは「維新館」へ行きました。「若き薩摩の群像」の17人が、幕末に船でイギリスへ留学、多くを学んで帰り、明治の日本に大きく貢献したドラマが上映されていて、とても興味深く見ました。
続いて、城山までシティビューバスに乗りました。ここからの桜島の眺めは、とても良いです。そこから歩いて少し下った所に、西郷隆盛が最後に篭っていた洞窟があります。
またバスに乗り、磯庭園まで行き、車窓から観光をしながら、駅へ戻りました。
駅の中の売店で、薩摩焼酎をおみやげに求めました。お店はどこもきれいで、たくさんの鹿児島みやげを売ってました。

夕方、ドイツから日本へ来られたクラウスさんと佳英子さんに会いました。明日からの計画を話しながら、夕食でした。
4月2日、


今日は、曇時々雨の天気予報、バスに乗って、知覧へ行くことにしました。駅前からバスに乗ります。鹿児島の街は、街路樹や、花がとても美しく咲いています。
1時間近く走ると、知覧に入りました。ここは、お茶が名産です。見事な茶畑があちこちに広がっています。
知覧では、武家屋敷と、特攻平和記念館に行きます。
先ず、武家屋敷の見学です。バス停の町並みも、植木が刈り込まれていてとても美しいです。
江戸時代は島津氏の傍流、佐多島津氏による統治が行われた町、上級武士の住居と外敵からの防御を兼ねた武家屋敷が築かれ、それが今に至る。
槇の生垣が美しく刈り込まれている。その前で、久し振りの再会をした記念写真。
その槇の生垣は、お庭に廻ると、植栽と岩で深山幽谷を表した山並みになっている。お庭としては、とても狭い空間、そこに大きな景色が広がる。
お昼になりました。酒すし、郷土料理という看板に惹かれて、ここで昼食を食べることにしました。
クラウスさん、佳英子さんのために、椅子をお願いしましたら、私たちにも出してくださって、足つきのお膳のご馳走を、ゆっくりと頂くことが出来ました。
私は酒すしをかねてより食べたいと思っていましたので、とてもうれしかったです。きびなごが飾られた酒すし、そして、副菜は、優しい味の、素朴なお野菜や、山菜の煮付け、おから料理、どれもとてもおいしくて、クラウスさんたちも大喜びでした。
酒寿司で、少し、イエイエ相当に、酔ったようです。本当にお酒が一杯入ったお寿司でした。また、武家屋敷の見学です。これは、知覧特有の建物「二ツ家」です。左が男玄関のある居住用のオモテ、右が女玄関の台所のあるナカエです。本来は別棟だったものを、不便なので次第に近づけ合体させた知覧独特の建築です。
庭のつつじや、垣根のまきなどが本当に美しく刈り込まれています。この地域の7つの庭園は昭和56年に「知覧麓庭園」として、国の(名勝)文化財に指定されました。
その庭はよく手入れされ、母ケ岳の借景や枯山水を取り入れた造りで重厚な石垣に大刈りの植え込みは、琉球や中国の影響を受けたといわれています。
美しい庭の向こうに広がる茶畑です。知覧のお茶を、おみやげに買いました。
昼下がりの武家屋敷の通り、槇の垣根がとても美しい。
人が少なくて、とてもラッキーな、時間です。
美しいお庭で、記念写真を写していただく。植木で、大きな山の景色を表しているお庭。案外狭いのに、雄大な感じがします。
武家屋敷の通りを出たところに、「富屋食堂」がありました。ここは、鳥濱トメさんが経営していた軍指定の食堂。特攻隊員たちの憩いの場であり、家族との別れの場でもありました。ここを舞台に高倉健主演の映画「ホタル」が出来ました。(降旗康男監督)
タクシーで、特攻記念館に来ました。外の広場には、特攻兵士の像や、特攻機などが展示してありました。
こちらが知覧特攻平和会館入り口です。
中には特攻兵士の写真や遺品、遺書などが展示されています。丁度、説明があり、聞くことが出来ました。16才や19才という、若い少年とも言える人たちが、片道燃料で、敵機に体当たりしていきました。戦争とはむごいものだと、改めて思いました。
平和会館の中は撮影は出来ません。これは、外に作られた、三角兵舎です。敵機から見えにくくするために、半地下に作られています。ここへ入ると、2~3日後には出撃だとか。ここで、歓送会をしたり、遺書を書いたりしたそうです。
何だか、胸が潰れる思いのする場所でした。私たちは二度目でしたが、やはり、ショックは大きいです。平和の大切さをひしひしと感じます。ここは、桜並木と、灯篭が並び、若い兵士たちを慰霊しています。
ちょっと重い気持ちで帰ってきました。

夕食は鹿児島らしいお料理をと、私はきびなごのお刺身、クラウスさんたちは、かつおのたたきでした。
そして、お鍋は、野菜と黒豚の蒸し鍋、今、はやりのモロッコのタジン鍋を使った蒸し料理です。
4月3日、

今日は良い天気になりました。桜島へ行きます。10分おきに出ている連絡線に乗って桜島へ渡ります。
船の先端で、クラウスさんは、カメラを構えています。ここはやはり風が強いので、私たちは、船室に入りました。
桜島に着きました。乗ってきたフェリーが、車を下ろしている間に、先に着いていた船が出港します。
クラウスさんたちも、私たちも、以前にも、来たことのある桜島ですが、今回は、溶岩道路を歩くことにしました。「袴越烏島溶岩探勝路」です。
蒼い海がきれいです。ここは、もともとは、海の上、溶岩が流れ出して、海を埋めた所です。
今では草や木も生えてきていますが、ゴツゴツとした真っ黒の溶岩石は、なんとも不気味です。
桜島沖合い500m、高さ20mの烏島が、大正時代の噴火で埋まってしまったといいます。二人の立っている下に烏島があったそうです。沖合いの島が溶岩で埋まるという火山史上でも珍しい出来事だそうです。
帰りは、車の道に沿った歩道を歩いて港へ帰りました。桜並木の桜が咲き始めていました。
よく歩き、疲れました。フェリーの中です。ソファーなど快適で、もう少し時間がかかっても良いのにと思います。15分で鹿児島港に着きます。
赤灯台、白灯台を抜けて、鹿児島港に入ります。桜島は見ているととても雄大で美しいです。今も煙を噴く活火山の島なんですね。
こうしてドイツから来られたクラウスさんたちとの鹿児島旅行は終わりました。ホテルに戻り、荷物を受け取り、また今度はドイツで会いたいですと、別れました。楽しい再会でした。ありがとう!気をつけてお帰り下さいね。