タイ・カンボジア旅行記録その4:2009年12月8日:シェムリアップ・アンコールワット他

午後2時半からいよいよ1992年に世界遺産に登録されたアンコールワット観光です、
12世紀前半に、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として
30年以上の歳月を費やして建立されました。
敷地は東西1500メートル、南北1300メートル、幅200メートルの堀で囲まれている。
正面に見えているのは巨大な西塔門です、頂上は崩れています。
堀の真ん中を通る道は、右半分が修復されている、左はまだ修復されていないデコボコです。案内板があります。研究者、修復者などの顔写真入りです。

アンコールワット西参道保存修復プロジェクト
上智大学アンコール遺跡国際調査団
上智大学アジア人材育成研究センター
1996-2007 右上のマークは上智大学の印。
お堀の中を真っ直ぐに延びた石畳の道、徐々に近づいてくるアンコールワットのロケットのような塔、巨大な門の前には大きな7頭蛇の欄干がありました。
巨大な西塔門です。頂上は壊れています。
西塔門の前でパチリ。
大きな門の左右に回廊が伸び浮き彫りが彫られていた。アプサラ(天女)の像です。回廊の窓にはソロバンの玉のような窓枠がある。風は隙間から流れ込むようになっている。

いつか来て見たいと思っていたアンコールワットが目の前に!
一番高い塔の危ない階段を登るつもりで勇んで来ましたが工事中で立ち入り禁止、残念です。

西塔門を入ると、アンコールワットが見えました。早速、記念写真です。
この頃が一番暑かった、37度でした。昼前の11時から2時頃まで、現地のお役所もお昼寝タイムだそうです。

憧れのアンコールワットです。聖池に写った逆さアンコール・ワットを背景にパチリ。
ひときわ高い中央塔、左右対称の巨大な寺院はクメール建築の最高傑作。
サンコールワットは西向きに建てられているので午後に訪れるのが良いとされています。
聖池を越えて、階段を登って、第一回廊へ入ります。まだあちこちに崩れた石材が修復を待っています。
1999年5月から2005年4月にわたって、ユネスコ文化財保存日本信託基金、日本国政府国際交流基金の元、アンコールワット最外周壁内北経堂修復工事が日本国政府アンコール遺跡救済チームによって行われたことが書かれている看板です。
この黒い墨は、日本人の落書きの後だとか、世界遺産に落書きなんて、と思ったのですが、江戸時代の人が書いたそうです。そんな時代に、ここに来た日本人がいたことが何とも微笑ましいと思ってしまいました。でも、落書きは恥ずべきことですね。
回廊には、浮き彫り彫刻が施されており、ヒンドゥー教に由来する物語が多いです、国造りの「乳海攪拌」から、「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の物語のレリーフ、戦争、天国と地獄など、ぎっしりと彫られている。漆の赤が残っていたり、金箔が貼られていたとも言われている。
広い境内を歩きます。歩きながら、ガイドのBUNYIさんが、ポルポト時代のことを少しずつ語り始めました。気になっていましたが、聞くのも憚られる出来事でしたから、こちらからは聞きませんでした。
穏やかなガイドさんの胸にも、悲しい出来事が秘められていたのです。ポルポト時代の監獄になっていた遺跡の回廊もありました。窓も塗り篭められ、食べ物も殆ど与えられず、労働を強いられた人々。地雷は撤去されたと言いますが、勝手にあちこち行かないことと言われますと、やはり緊張します。
穏やかな仏教の国が何故そんな残虐なことになったのか、何とも言葉がありません。旅行に出発する数日前、やっとポルポト時代の高官に対する裁判が始まったと報じていました。まだまだ過去のことではないのです。


アンコールワットの四隅の塔です。
アンコールワットの観光を終えました。そろそろ夕陽が傾き始めました。今からサンセットツアーです。高い山の殆どないシュリムアップの60mの山に登ります。象で登ることも出来るそうです。
私たちは、大勢の人と一緒に歩いて登りました。一日歩きまわった身にはちょっとしんどかったです。アンコール・トムの南門のすぐそばにある高さ60mのプノン・バケン山に登ると、ピラミッド状の遺跡プノン・バケンがあります。アンコールワットよりも250年、バイヨンよりも300年ほど前に建てられました。



ここに登ってサンセットを見るのです。続々と人が集まってきます、
アンコールワットへの観光客は、250万人だそうです。国別では一位は韓国、二位は日本だとか。欧米人も多く来ています。
ここにもいろいろな国の人が集まりました。
ちなみにカンボジアの人口は1500万人、ここシェリムアップは10万人が住んでいる、6割が農家で、二毛作でお米を作っています。
遺跡の上からは遠くまで360度見渡せます。南東の方向にアンコール・ワット、西の方角には歴代の王が数世代にわたって建築を進め、11世紀に完成した西バライが見える。西バライは巨大な人口(東西8㎞、南北2㎞)の貯水池。

西の空がうっすらと紅くなってきました。
遺跡に座って、サンセットを待つ人々です。日本人もたくさん来ています。反対側を見ると、はるか向こうジャングルの中にアンコールワットの尖頭が見えました。
ジャングルの向こうに、夕陽が沈み始めました。左の方に、気球が浮いているのですが、見えないですね。気球からアンコールワットを眺める、サンセットを眺めることも出来るそうです。
遺跡が真っ黒いシルエットになり浮かび上がります。フー人々の溜息と共に、拍手が興りました。明日は何か良いことがありそうなそんな予感がします。
登るときは、上を見て登りましたが、降りる時は、ちょっと恐かったです。プノン・バケン遺跡の階段は、磨り減っている、幅が狭い、急勾配、と、反対向いて降りる人も多かったです。
私たちが降りる時には、ガイドさんが心配そうに見守ってくれていました。おかげで全員無事に降りました。
しかし、こんな遺跡に大勢が登って、良いのかな?とちょっと心配になりました。
今日の行程は18000歩、歩きますよ、と言われていましたが、本当によく歩きました。今日の最後は、「アプサラダンスショー鑑賞の夕食」です。
両側の窓は吹き抜けの広いホール、たちまち、人で一杯になりました。
お料理はバイキングです。たくさんのカンボジア料理、中国料理風のものが並んでいます。デザートもフルーツも一杯です。
私はやはり歩きつかれて、動くのもイヤという気分になってしまっていました。いろいろおいしそうなお料理があるようですが、夫が運んできてくれたお料理をおいしく食べました。
ビールは「Angkor」ホップが香って、とてもおいしかったです。

アプサラとは天女のこと、遺跡にたくさんのアプサラのレリーフが彫られています。
アプサラ(天女)の踊りは9世紀頃に生まれた宮廷舞踊で、神に捧げられた踊りです。
優雅な動きの踊りで、題材は「ラーマーヤナ物語」から取られたもの。また庶民の暮らしから生まれた魚捕りや稲刈りなど日常生活からのダンス、男女のコミックな恋の駆け引きなど、楽しいダンスもありました。

明日はまた遺跡観光です。楽しみです。
BACK 続く