私のゆふいん音楽祭は天井桟敷から始まり天井桟敷で幕を下ろす。
いよいよ音楽祭の当日になりました。スタッフの集合時間までにはまだまだ 時間があります。準備は昨日のうちにほとんど出来ています。 少しゆっくりしてこれからのことを考えてみたい。 朝日のいっぱい差し込む天井桟敷に行きました。 いつものグレゴリアンチャントの響きの中、コーヒーの香りが漂っている。 少し開いたガラス戸からテラスに出てみる。
藁屋根の向こうに緑の由布岳が迫っている、あまりにも近いので頂上は視野には入らない。緑の風ときらめく朝の光と青空がテラスに一杯だ。 私の大好きな大きな丸いテーブルに席がありました。 先客の方々に頭を下げて座りました。素敵なグラスに冷たい湯布院の水をもってきて下さる。もちろんコーヒーを注文する。 丁寧にドリップでたてたコーヒーがポットと共に出てくる。
深煎りのコーヒーの香りを楽しみながら、今年の音楽祭ではどんな出会いがあるかしら、どんな音色が流れるかしら、スタッフの皆さんと楽しく働こうと今日からの音楽祭に思いを馳せる。 ポットのコーヒーを注ぎ2杯目を楽しむ頃にはすっかり私の心は音楽祭に。 さあ、頑張ろうという気持ちで天井桟敷を出る。
さあ、すべて終わった。美しい音楽、たくさんの新しい友との出会い、そして別れ。今年も湯布院の若い人たちと素敵な6日間をすごすことが出来た。
最後の日の朝食は亀の井別荘の天井桟敷と決めていた。
主人とアメリカから音楽祭に来たJimさん(私のホームページを見てメールを下さったインターネットの友人)と若いスタッフの山口君ことはっぴーさんと4人で丸いテーブルを囲む。
亀の井別荘の太郎君が待ってくれていた。 彼は現社長の中谷健太郎氏のご長男、お父様譲りの風貌と機智に富んだ話が楽しい好青年、音楽祭ではスタッフとして一緒に働いた仲間だ。息子と同年ということで余計に親しみが沸く。
Jimさんはこの建物がとても珍しそう、アメリカ人の彼でなくともこの建物には興味がある。古い酒蔵だと聞いていた。太郎君の説明が楽しい。 「この建物が出来たのは僕が小学1年の頃ですよ、この工事現場が僕の遊び場でした、、、」 (ちょうど私達が大分に転勤をしてきて湯布院へ遊びに来はじめた頃だ)
「吉井町(福岡県)から移築してきました。大工さん達が勢いよく解体をしたものだから”イザ組み立て!”というときになって何をどこにということが解らなくなった所もある、それで鉄柱を使った部分もあるのですよ、ホラ、竹でくるんだ柱があるでしょう、」しかしそれもいま見ると風情があって好都合。
江戸末期の造り酒屋の蔵を始めは売店にするために移築したら天井が高く大きな空間が出来た、昔は杜氏さんたちの休憩所だった屋根裏を喫茶室にと、、 売店にするための建物で喫茶も始めることになり、予算が足りない、そこで 役場や駅舎を尋ねて、余っていて処分するような椅子はありませんか、ということで集まったのがこのゆったりとした独りがけの椅子.
役所で見るような糊の効いた真っ白なカバーがまた雰囲気を出している。大きな黒光りした梁がおもしろいオブジェになって素敵な天井桟敷が出現。この大きな丸テーブルは酒樽の底だとか.
梁の上の屋根裏の席には滑車の箱車でメニューやお絞りを運び上げる、そして注文のコーヒーやケーキもこの箱車が運んでくれる、省力化の箱車がおもしろいと評判だ。
私たちの朝食はフレッシュジュースとほかほかのパン、そして季節のジャム、 パンはやさしくナフキンに包まれ最後まで温かでおいしい、ジャムはことこと屋製の梅ジャム、木製のパン皿やバターナイフが心を落ち着かせてくれる。
太郎君の話は次第にこれからの彼の夢へと広がっていく、若い彼等の夢が思う存分語れる町、その夢の実現を見守っている大人のいる町、古い酒蔵に新しい命が吹き込まれ訪れる人を癒している、そんな風にこの緑の風と光と温泉のあふれる町湯布院は、若い人たちと大人との協力でますます癒しの町になっていくことだろうと思われた。
毎年、音楽家の皆さんも観客の皆さんも夏には湯布院であいましょうと集まって下さる、そしてこの地で十分に癒され各自の活躍の場へと去っていかれる。 今年の音楽祭も終わりました。心地よい疲れと体中にまだ満ちている楽の音、私の心はいつまでも緑の葉擦れの音と木漏れ日の中で遊んでいます。