韓国の歴史
その4・高句麗の領土拡張 その一、デムシン王
韓国の歴史の中で、一番広い領土を持ち、東北アジアの主役として強い国家を建設した高句麗。 2代目のユリ王は、西暦3年に国内城に都を移しました。今の中国の集安です。高い山に囲まれた天然の要塞と農耕に適した土地、豊富な鉄。国内城のすぐそばには鴨綠江が流れています。その川を下って黄海に出て、国際的な秩序の中に進入できたこと、それが都を移転した一番重要な目的でした。

高句麗の2代目のユリ王、そうです、建国の王・朱夢の所に、半分に折れた短刀を持った男の子が訪ねてきましたね。朱夢が扶余にいたときに産ませた息子のユリです。高句麗2代目のユリ王です。
その頃、高句麗と対立関係にあった扶余のデソ王は高句麗に服従を要求し、拒んだ高句麗を攻撃してきました。ユリ王の三男であるムヒュルが扶余軍を奇襲攻撃し勝利を収めました。彼が高句麗の3代目のデムシン王となる訳です。デムシン王は弓と狩に優れた才能を持っていました。彼は若いときから、周辺の国々を征服し、高句麗の膨張の基礎を築いたのです。扶余を征伐し、ほかの遊牧民族も次々に征服していった高句麗は、こんどは目を南のほうへ向けます。

デムシン王の息子ホドン王子の話になります。ある夏の日、ホドン王子は南の地域を旅していました。美男子であるホドン王子を見た、楽浪の王、チェリは、ホドンが高句麗の王子であることを見抜いて、楽浪の宮中につれて行ったのです。 楽浪の宮殿で、チェリの娘である楽浪姫に会って、恋に落ちたホドン王子はデムシン王の許しを得て、正式に結婚をするために帰国することにしました。
楽浪には敵が侵略してくると、自ら鳴って、危険を知らせる「自鳴鼓(じめいこ)」という太鼓がありました。しかし、ホドン王子は楽浪姫に、その楽浪の宝物である太鼓を壊してくれと頼んでいたのです。それで高句麗軍が攻撃してきても、自鳴鼓が鳴らなくて何の備えもできなかった、 チェリ王は、自鳴鼓を壊したのが、楽浪姫だったのを知り、怒った彼は、楽浪姫を殺してしまいました。

高句麗軍をつれて楽浪に着いたホドン。しかし、楽浪姫はすでに冷たい遺体になっていたのでした。その悲しみを克服できなかったホドン王子は、結局、死を選びました。その時に降伏した楽浪は、5年後には、完全に滅びてしまいます。ホドン王子と楽浪姫の話は、現代にいたるまで悲しい恋の話として、言い伝えられています。
悲恋の裏には、高句麗の領土拡張の野心が潜んでいました。楽浪はどこにあったか。いろいろと説があるようですが、平壌を中心とした地域と推定されています。国内城からはかなり距離がありますが、高句麗の南のほうへの征服を意味しているのでしょう。
ユリ王は吉林省付近の国内城に都を移し、東北アジアに羽ばたく基盤を作りました。デムシン王は扶余と楽浪を征服し、本格的な領土拡張を始めます。高句麗の建国後、百年が経つ西暦1世紀ごろ、高句麗が征服した国が10カ国にも及んでいたと「三国史記」には記されています。

その領土拡張の過程で起きた楽浪滅亡の際のホドン王子と楽浪姫の悲しい恋の物語は今でも韓国の子どもたちに伝えられています。
その3、三国時代の幕開け・百済と新羅の誕生 その5、高句麗の領土拡張 その二、広開土大王(好太王