韓国の歴史
その10、新羅の花郎(ファラン)
新羅の青少年たちはグループを作り、有名な山や川など、自然の中で共同生活をしながら、智、徳、体の全人的な教育を受けるようになります。新羅の真興王はその青少年たちを花郎党として国家的に体系化し、国家のための人材を養成しました。
新羅の花郎(ファラン)たちは自然の中で、体や心を鍛え、歌や舞い、弓や剣術を習いました。彼らは新羅の三国統一の決定的な担い手になります。花郎党が組織的で体系的になるのは西暦576年、新羅の真興王の時です。
高句麗には大学という教育機関があり、百済にも似たような制度がありました。しかし国の制度の整備に遅れていた新羅には、このような教育機関がなく、この花郎党を利用して、必要な官僚や軍人を選抜するために、部族を超えた国のエリート養成システムにしたのでしょう。
花郎’というのは‘花のような美少年’という意味です。貴族出身の美少年を選び、集団の頭にして、‘花郎’としてグループのリーダーにしたのです。花郎党は身分が高い貴族出身の花郎がその下の貴族や平民出身の郎党を率いたといいます。大体15歳から18歳までの3年間活動をしたと言われます。

花郎党のリーダーである花郎は、記録によれば、「真骨」出身が多かったようです。大きいグループでは数百人から一千人ほどの郎党がいたようです。また有名な僧侶らが花郎たちを指導する顧問の役割を担当していました。
7世紀前半期の新羅は高句麗や百済の反撃によって危機的状況に直面していました。新羅は国王を中心に団結して国家的な危機状況をうまく乗り越えたのですが、特に青少年たちは花郎党を中心に国のために尽くそうとする決意に燃えていました。

3年間の修練の過程で、花郎党に属した青少年たちは友情と誇り、そして正義感を感じるようになります。こうした花郎党精神の根幹になったのが、かの有名な円光法師の‘世俗五戒’です。円光は中国南朝の陳に留学した深い学識を持つ僧侶で、新羅の花郎の思想的な師匠です。世俗五戒は‘世の中で守るべき五つの戒律’という意味です。王様には忠誠を尽くす、親には孝行し、友には信頼をもって交わる、戦いに臨んでは決して退かない、殺す時には慎重を期するという五つの教えだった。
花郎党は三国抗争が激しかった時に大きな役割をしたのです。新羅の花郎の一人一人は、自分こそ三国統一の立役者だ。自分が頑張らないとわが新羅が三国統一を完成することはできないだろうという一貫した精神を持っていたのです。こうした花郎たちの護国精神が新羅による三国統一を早めたと言えます
新羅の有名な花郎には名の知れた青年が約30人ほどいました。真興王の時の花郎であるサダハムは562年、新羅が加羅を征伐する時に、まだ幼い15歳の花郎として敵を奇襲し大きな戦功をあげました。三国統一の英雄である金叟(广だれですが変換出来ない))信も花郎の出身です。

また西暦660年、百済軍は新羅と唐の連合軍を迎えて、今の忠清南道の論山の黄山の原で戦いに臨みました。百済の桂伯将軍が率いる5千人の決死隊は数的な不利にもかかわらず、新羅の金?信の5万の兵を圧倒していました。新羅軍は落ちた士気を上げるために、15歳の花郎のクァンチャンが百済の陣営に一騎打ちに挑んだのです。百済軍に捕らえられたクァンチャンの幼い顔を見た桂伯将軍は驚きました。クァンチャンは戦いに臨んで退くのは花郎の恥だと言い、恥をかいて生きるよりは死を選びたいと言い百済軍はクァンチャンの首を馬に載せて新羅の陣営に返しました。幼いクァンチャンの死をみて士気をあげた新羅軍は、結局百済を征伐することができました。

このように新羅軍が勝利を収めることができたのは、国のために命をすてたクァンチャンの花郎精神があったからです。花郎党は三国抗争が激しかった時に大きな役割をしたのです。新羅の花郎の一人一人は、自分こそ三国統一の立役者だ。自分が頑張らないとわが新羅が三国統一を完成することはできないだろうという一貫した精神を持っていたのです。こうした花郎たちの護国精神が新羅による三国統一を早めたと言えます。
しかし三国統一後、平和な時代になってからは、戦争も少なくなり、花郎党は一種の社交の集まりに変わります。戦闘能力は弱くなり、風流を楽しみ、歌を作るのを好む集団に変わっていったのでした。

花郎党はそのように時代の流れと共に変わり、歴史上からもその姿が消えてしまいます。しかし国のために尽くそうとした忠誠と信義、未知の世界を知ろうと努力したその気性。こうした花郎精神がついに三国統一を可能にして、新羅千年の歴史を支える一つの根幹となったのです。
何だか新羅の花郎(ファラン)の若者たち、今度、ヨンジュン様が演じられるタムトク王の姿とダブってしまうのですが、いずれの世も、凛々しい若者たちが新しい国を作っていったんですね。次回は、日本にも大きな影響を及ぼした「仏教」のこと、高句麗の広開土大王も早くに仏教を保護し平壌に九つの寺を建てさせたとか。どのような姿でヨンジュン様が広開土大王として私たちの前に立たれるか、楽しみです。それまでに少しでも韓国の歴史の勉強を先に進めましょう。
その9・新羅の3人の女王 その11、三国の仏教の受け入れ