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1998年7月28-29日、生月島に行きました。

宮崎大学の竹井成美教授の書かれた「南蛮音楽、その光と影」という本の中の隠れキリシタンのことに大変興味を持ったジムさんは、いつかその人たちの住む「生月島」に行ってみたいと言いつづけていました。やっと今回それが実現をしました。薄く見える島が九州の西の果て、平戸側から眺めた生月島です。
5年前に出来たという生月大橋で九州本土と生月島は結ばれました。水色のおもしろい形をした橋です。600円を払って渡りました。
生月島に渡ってすぐに博物館「島の館」がありました。この中へ入ると島の暮らしや歴史がよく分かります。周囲を海に囲まれた生月島は漁業、それも捕鯨で栄えた島でした。博物館の入り口にはかわいい鯨の親子の像がありました。竹井先生が紹介をして下さった学芸員の方に詳しく隠れキリシタンのお話を伺うことが出来ました。特に伝承されているオラショ、歌オラショについて知りたかったジムさんは、ビデオで聞かせてもらって本当に良かったと話していました。
博物館の近くの高台にある民宿で泊まりました。海や漁港が見下ろせる素敵な所です。おいしいおさしみがいろいろ並んだ夕食を浴衣で楽しみました。ジムさんは浴衣がとてもよく似合ってます。
翌日は学芸員の方のお話をもとに島内巡り、豊臣の時代からキリスト教の迫害が始まり、島のキリシタンの方々は隠れキリシタンになりました。それでも踏み絵やいろいろな方法で見つかった人たちは殺されていきました。ここは島の中央部にある、「幸四郎様」です。キリシタン探索に来たお役人がこの当たりで目が見えなくなり島のキリシタンに助けられて治った、そのことからキリシタンとなった役人はやがて見つけられて殺されたと言われている場所です。

灯台のあるこの断崖はとても見晴らしの良い所です。右に見える断崖は珍しい柱状節理になっています。
「だんじく様」と呼ばれている、聖地です。お役人に追われて暖竹のかげにキリシタンの親子が隠れていました。しかし、海辺で遊んでいた子供が、海から探索に来たお役人に見つかってしまい、とうとう親子は殉教をしたということです。今もなお1000人ほどの隠れキリシタンの皆さんが400年前から伝えられたオラショを唱え、歌オラショを詠じて信仰を守っておられます。どうかこれからも守り継がれますようにと思いました。