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4月18日、午後は忠烈祠から閑山島へ、そしてLee先生のご家庭へ、
by Mie
これは、亀甲船の模型です。
豊臣秀吉の朝鮮侵攻に対し、名将李舜臣は装甲軍艦である亀甲船を主力とする水軍を率いて奮戦、日本水軍を撃破、上陸した日本軍の補給路を断ち、祖国を勝利に導いた。
この李舜臣将軍の像は今も各地に残っていて、その多くは日本の方角を向いているそうです。私もソウルの広い道の真中に立っている像を見たことがあります。
統営という町にやってきました。1606年に建立された李将軍の位牌が奉安されている「忠烈祠」です。門を入った所には大きな椿の木が幾本も植えられていて、見事な枝を張っていました。
美しい民族衣装のチマ・チョゴリを着た方がお参りにみえていました。お願いをして写真を撮らせて頂きました。
ここは、世界でも美しい海と定評のある国立公園です。今からこのボートに乗って、20分ほどの閑山島に行きます。
この辺り一帯は、豊臣秀吉の軍勢が押し寄せて来たときに、李舜臣将軍がこの入り江に誘い込んで打ち滅ぼしたという海です。
李将軍の鎮守府が置かれていた閑山島に着きました。大変美しく整えられています。
丁度、桜が葉桜になり、新緑の芽生えが美しい参詣道路です。ここでもあおい門が緑の中で映えていました。
左の絵が李将軍の姿です。右は海戦の様子が詳しく書かれた絵図です。豊臣の船団を迎え撃つ李将軍側の船が描かれています。
島から見える入り江の一番狭くなった所に灯台が立っています。その灯台は亀甲船の形をしていました。夕陽に映えて美しかったです。
夕食はLee先生の家で家庭料理をご馳走して下さるというので、馬山に戻ります。もう真っ暗になってしまって、時間が下がり、信号で止まる度に携帯電話で奥様と連絡をとりながら帰路を急ぎました。
先生の家は郊外の新しい団地にありました。高層のアパートが幾棟も立ち並び、学校も新しい商店街も出来ています。
15階建ての4階でした。素晴らしく美しく広いお部屋でした。8歳になるという一人息子のLee君が眠そうな顔で待ってくれていました。
テーブル一杯に並んだ韓国の家庭料理の数々です。お母さまと奥様で作って待って下さっていました。勿論お手製のキムチ、味噌、おいしかったです。それに焼き魚にお刺身も食べるのですね。右はフルーツとおまんじゅうです。あんこがとってもおいしかったです。しかし、色々と出して下さってお腹が一杯、全部食べられなかったのが本当に残念です。
左は台所です。ブルーのセットが何とも美しかったです。いつもは、ここに、テーブルが置かれているそうです。右はお子さんの部屋。木製の素朴な勉強机がとてもいいと、同じ年の子供を持つ松村さんが大変感激をしていました。私はここでLee君と地球儀をまわしながらお話をしました。お母さまも来られて、日本で育ったこと、戦後引き上げてきて、4人の子供を育てたことなど、話して下さいました。
ここは書斎です。パソコンが置いてありますが、インターネットには繋がっていないそうです。奥様の為に繋ぎたいと言われていましたが、高校の英語の教師をなさっている奥様は今は夜は大学院で勉強中で、インターネットをする時間がないとのことでした。
夫はLee先生からご著書の説明を受けています。
もっともっといろんなお話をしたかったのですが、すっかり時間が遅くなりました。また先生に車を運転して頂いてホテルまで送って頂きました。本当にご家族の皆様、ありがとうございました。
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