2021年12月12日:別府溝部学園公開講座2021オープンカレッジ
2021年度の竹井先生の講座、3回の最後の講座です。大友宗麟の時代には文学をどう読んでいたか、を、「平家物語」「金句集」を通して考察してくださいます。
 年末の日曜日、駐車場探しに汗をかいたので、いつもより遅くに教室に入りました。
最初にするのは、竹井先生の今日の姿をカメラに納めさせていただくことです。いつも黒のファッションですが、とっても素敵です。今回もコロナの中、CO2計測器」を机の上に置き、ドアは少し開けて、傍にはサーキュレーターを置いて空気の循環を計ってくださっています。
大友氏の時代に、本を読むとは、と思いますが、ヨーロッパへ派遣された遣欧使節には、印刷技術を学んでくるというミッションもありました。そのための若い青年も遣わされていて、グーテンベルクの印刷機を購入し、使用方法を学んで、日本へ帰ってきました。この計らいが凄いことだなと思いました。
4人の遣欧使節のうち、赤丸で囲ってある人物が、大友宗麟が派遣した伊藤マンショです。ドイツの新聞の記事だとか。

持ち帰った地図から、当時の大分がヨーロッパでどんなふうに見られていたかが判ります。
九州を拡大していますが、この島は「九州」ではなく、「BVNGO」と大書されています。
豊後・大分が格別大きく示されています。そして大分の春日浦にもこんな南蛮船が入港したでしょう。
遣欧使節は1582年出発、1590年帰国だったそうです。約8年間の大冒険です、少年も立派な青年になって帰ってきたことでしょう。
BVNGOの文字の書かれているところを拡大してみました。 
今でいう所の日出から臼杵までの海岸線↓を切り取ってみました。地名が書かれているのは、上から「日出」 「府内」「佐賀関」そして「臼杵」です。これら大分の地名はヨーロッパへも鳴り響いていたということでしょう。 

実際に豊後の国で、「平家物語」が読まれていたことの実証として、竹井先生は、日出城主の木下延俊(のぶとし)の↓「木下延俊慶長日記」(1613年の1年間の行状を記したもの) から実証してくださった。
「平家物語」の序の最後は1592年12月10日と出ている。ハビアンという人の凄さがあっての出版と思う。

〇8月26日「平家物語御読み候、
〇8月27日今日も平家物語遊ばれ候、湯へも御5度入られ候、
〇9月3日日暮れているまん参り御礼申し上ぐ
〇9月5日平家物語今日、みな御よみはたし成され候、
〇11月13日 群一(琵琶法師)参り候
〇11月14日ぐん一御振る舞を成され候

「伊香保物語」の翻訳者であり平家物語の校訂者であった不干ハビアンが日出藩の木下延俊に出入りしていた模様、こうして記録されていることが素晴らしい。
今から400年前に、実際に活版印刷された平家物語を日出城(暘谷城ともいう)を築城した木下延俊城主が読んでいた記録が今に読めるとは本当におもしろいと思った。講義が終わって、ホルトホールを出てすぐに、「南蛮珈琲館」がある。銘菓ザビエルや、南蛮タルトが食べられるとのこと、一度、入ってみたいと思う。日出にはつい先日行ってきたばかり、だったのでなおのこと興味深聞くことが出来ました。
帰り道の道路際の紅葉が美しかった。 
私も中学生の頃、吉川英治の「新・平家物語」が刊行された。お隣のおじさんが全巻貸して下さって、夏休みに座敷の廊下で読みふけっていたことを久し振りに懐かしく思い出した。