プロペラが廻り始めました。いよいよ出発、スタートです。 | ||
廻るプロペラをずっと見つめていました。その下は青い海です。岸に打ち寄せる白波がきれいです。 | ||
一応冷静に、きれいです、と言いましたが、プロペラが停まるとどうなるのだろうかと思うと、やっぱり怖かったです。添乗員さんは、この飛行機はとても安全ですよ、とは言われていましたが。 ようやく与那国空港に着きました。 |
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荷物は殆どありませんから、すぐにターミナルへ入りました。11時22分です。しかし、売店はシャッターが下りています。なぜでしょうね。休航の便が多いのでしょうか?「与那国空港売店」と書いてあります。 | ||
そのまま、すぐに外へ出て、待っていた観光バスに乗りました。そして、向かったのは、「ティンダバナ」です。 ここはサンゴの隆起及び浸食によって形成された地形です。標高85mの崖になっているそうです。 | ||
天然の展望台になっていて、ここからは祖納(そない)地区の町並み、澄み切った青さののナンタ浜とその向こうに広がる東シナ海まで見渡せる、とのことですが、ちょっと曇ってます。 与那国島はこの祖納地区、比川地区、久部良(くぶら)地区と大きな集落が3つあり、1700人程の人口だそうです。 | ||
浸食作用でこんな風なくぼみもあります。ここには、伝説も残っているそうですが、不思議な岩の様子は自然のなせる技 、 15世紀末の女性首長サンアイ・イソバの住居であったとの伝承があったり、「イヌガン」というくぼみには、女と犬が住んでいたとの説もあったり、きれいな湧き水が出てそれは旧暦の8月の「アラミディ(新水)」という祭祀の際に供えらているとか、パワースポットのような気分で歩きました。 |
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通り道の傍には大きな蕗の葉のような植物がたくさんありました。 名前を聞いたのに忘れました。 | ||
茂みの間から下を見ると、水田がたくさん見えます。水を張って、まもなく田植えが始まるそうです。そしてまた夏には田植え、二毛作ですね。 | ||
昼食はアイランドホテル、大きなホテルです。鮪の漬け丼、と島豆腐、うどん?そばですね。おいしかったです。 私たちの乗っている観光バスの運転手さんは地元の方、そして、ガイド役も兼ねて打て運転しながらの案内もとても的確です。 |
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これはそのガイドさんが全員に配って下さった草。長命草といいます。与那国島に自生するセリ科の植物、栄養価がとても高いのでパワーベジタブルと呼ばれています。資生堂がこの効用を活かして青汁など作るので、島の人はたくさん栽培するようになったそうです。 | ||
ホテルの入り口の手づくりのシーサー左右に座って入る人を見ています。面白いお顔です。 |
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冬の今もハイビスカスが真っ赤に咲いています。とてもきれいです。 | ||
またバスに乗って出かけます。ここは 浦野墓地、私たちの周りでは見る事の無い、立派な大きな墓地です。人口に比して土地のある与那国島は、お墓はどこに作っても良いと言われるとか、本当でしょうか?それとも冗談でしょうか? | ||
そんな言葉も真に受けたくなる凄いお墓、これもお墓です。入口の門は凱旋門を模しているとか、中には赤いとんがり屋根の大きなお墓、数千万円かかっているそうで、祖先を大事にしている、というより、死者と共に生きる、という感じなのでしょうか。 | ||
墓地群の近くにあった家、人が住まれているのかどうか判りませんでしたが、何となく、次代を感じます。 | ||
島の東の先端にやってきました。東崎展望台です。物凄い風が吹いています。そして、地面には放牧されている牛の落し物が至る所にあるので、下を向いて歩かないと大変です。 八重山では太陽が上がる(昇る)東は「あがり」つまりここは東崎「あがりさき)といいます。また西は太陽の入る方向、ということで西は「いり」と詠みます。西表島は「いりおもてじま」です。 |
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海岸の上の崖の端の柵も、潮風で飛んでしまっています。危ないです。吹き飛ばされそうな強風が吹きすぎて行きます。 | ||
海の中にスックと立つ岩は与那国島のシンボル「立神岩たちがみいわ)です。 | ||
バスは走りますが、ここは牧場の中ということでしょうか。道路にギザギザの細工がしてあって、牛のひずめなどが引っかかるようになっています。これはテキサスゲートといいます。牛はここから先には決して行かないといいます。 | ||
その代わり牧場内は、道路も構わずに牛がのんびりと草を食んでいます。食事を終えるまでバスも大人しく待っています。 | ||
泡盛の製造工場見学です。与那国島には崎元酒造所の「与那国」、国泉泡盛の「どなん」、入波平酒造の「舞富名(まいふな)」の3つの銘柄があります。その中の一つ、国泉泡盛合名会社見学です。 アルコール成分60度の泡盛。泡盛の蒸留工程で最初(=端=はな)に抽出される酒ということか 花酒が古くから神事や冠婚葬祭に使われてきたことや、琉球王に献上していたことなどの歴史的背景が認められ、日本で唯一、与那国島だけで製造を許可されているどの強い泡盛があります。 |
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30度の泡盛の試飲です。私は初体験、のどがカッとしました。 小さな小さなビンをおみやげに買いました。 こちらは大きなクバ(びろう樹)の葉で包まれたクバ巻きの泡盛です。 |
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またバスに乗って次のお目当てへ移動です。泡盛が入ってウトウトの方もあちこちにいらっしゃいます。 バスの窓からチラリ見えたのは、2016年にこの島に自衛隊駐屯地が開設され建設された監視レーダー5本が見えました。情報収集に当たっているそうです。とか。 |
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次に来たのは、比川の「Dr.コトー診療所」です。びっくりしました。 これは2003年、2006年にテレビ放映されたドラマ「Dr.コトー診療所」のために建てられたオープンセットですが、今も当時のままに観光資源として残されています。 | ||
中へ入ることが出来ました。 ドラマでは志木那島診療所でしたが、撮影はこの与那国島でした。島のあちこちで撮影がされているそうです。私も大好きで見ていましたが、そんなことは忘れてしまっていました。 診療所の屋上に立っている棒、そこではためいていたのがこのドクターコトー診療所の旗、そして、タイトル場面やドラマの中で往診に走り回った自転車も置いてありました。 |
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この病室の場面も思い出しました。ここで入院していた患者さんが窓から海を見る、その時の寂しい心とまぶしい浜辺の情景、またコトー先生が物思いにふける浜辺、などなど、ツアーのお仲間の方々と思い出噺に盛り上がりました。 | ||
海岸に近い茂みで見つけたアダンの実です。熟れるとオレンジ色になるようです。食べられる?食べられない?ヤシガニの好物だとか、、、 | ||
いよいよこの島へ来た最大の目的、「日本最西端の地」訪問です。それにしても、こんなに南の島が寒くて大変だとは思わなかったです。とにかくこの大きな岩に必死の思いで辿りついて、くらいついて、写して頂きました。東経122度56分04秒、北緯24度27分00秒 です。雨も降っています。 お陰様で「日本最西端の証」を頂きました。 |
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写真を写して頂いて、近くのあずまやに逃げ込みました。そこには、大きな地図が描かれていました。 与那国島が日本の石垣島より、台湾の方が近いことが判ります。そして、大きく黒潮が流れていて、海の豊かなこともわかりました。 |
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今回の旅行の目的は日本の最西端と最南端に立つことでしたが、残念ながら天候の加減で最南端の波照間島には行けなかったので、この最西端の地は、とても大切な記念になります。 | ||
もう一つのハイライトは、グラスボートに乗って、海底遺跡を見ることです。 海底遺跡とは?ここの場合は、巨大な石の遺跡、まるで昔の神殿のような岩で出来た建物や道、などがまるごと、海底に沈んでいると思えるような遺跡です。 |
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昭和61年(1986)に地元ダイバーによって発見された巨大な岩礁で、インカ遺跡を思わせる形状からそう呼ばれている。それが人の手によるものなのか、自然によるものなのかはいまだ謎のままなのだとか。しかし、「海底に沈んだ南の島の神殿」などというのも壮大なロマンで楽しいのですが、どうも自然のなせる業という見解が強いようですが、ダイバーたちも多く潜りに来るそうです。 | ||
いずれにせよ、壮大なロマンを見せて頂きました。ワクワクしますね。 探検を終わって、港へ帰ります。随分遠くまできていたようです。船が猛スピードで走ります。 |
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甲板で風に震えながら、写真を写していました。岸の崖の上の牧草地にたくさんの馬が居ました。どうも | ||
これで空が青く晴れ渡っていたら、どんなにすばらしかったでしょうか、また来れるといいな~と思いますがそんな機会があるでしょうか。 | ||
与那国空港からまたプロペラ機に乗って、石垣島に帰ります。添乗員さんは、天候が悪くなって飛行機が欠航した場合の私たちのお宿の手配までして下さっていたそうです。本当に仕事とは言え、お天気に振り回されるお仕事は大変です。 |
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今夜は二連泊のインターコンチネンタルホテルです。もう8時になるので、すぐに夕食です。今夜は洋食ビュッフェです。オリオンビールを頂きます。今日はさすが疲れましたね。 | ||
泡盛のコーナーがありました。見学をしてきた国泉泡盛の「どなん」もありました。シークワーサージュースと混ぜて飲んでみました。おいしかったですよ。 明日は最南端の島、波照間島には行けなくて、代りに竹富島へ行きます。水牛の車に乗って見学です。今日はゆっくりと寝て、明日も元気で楽しみましょう。 |
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