2015年4月5-7日:弾丸旅行「姫路と京都」
 4月5日、

大分の桜がまだまだきれいに咲いています。
今夕から楽しみの旅行に出かけます。しかし、ちょっと強行軍、頑張ってきます!
夕方、フェリー乗り場に行きました。車無しでフェリーに乗るのは、本当に久しぶりです。二人揃って、車無しで乗るのは初めてかもしれないです。

お部屋は決まっていたので、早速荷物を置いて、夕食を食べに行きました。固定料金でバイキングは、ダイヤモンドフェリーでは初めてでした。 
久しぶりの船旅でした。丁度、サクラの季節、ロビーには、サクラの造花にサクラ茶がおいてあり、あでやかな照明の中で頂きました。おいしかったです。 
4月6日
何度も来た神戸六甲アイランドです。フェリーが着きました。船を降りると、観光バスが3台待っていました。たくさんのツアー申し込みだったのですね。朝の6時半ごろです。
観光バスは西を向いて走ります。 私たちが実家へ向かうコースと同じの見慣れた道路を走りましたのでとても懐かしかったです。
姫路城に着いてこの看板の前に立ったのは、9時前でした。
小さな頃から何度も良く来たことのある姫路城です。この度、2009年からの大修理が終わって、早速に美しくなったお城を見に来ることが出来ました。
1993年12月、世界遺産に登録された姫路城が2009年からの大修理を終えて、2015年3月27日に初お披露目をしたばかりです。 真白の初期のお城の姿になったとか。満開の桜の中にとても美しいです。
左の細い階段から大天守を見ながら登って行くのが美しいと、父がカメラ片手によく言っていました。父と一緒に来た最後は何時だったか、覚えていませんが、母と来た最後はよく覚えています。
2007年のお花見でした。
薄暗い天守閣の中、行列をして階段を登り、上へ上へと行きます。
途中、窓から見下ろした下界の桜です。やはりものすごくきれいです。醍醐の花見の屏風絵にそっくり、暫く見惚れました。 
最上階まで登って、姫路城の守護神、刑部神社にお参りをしてまた、狭い階段を下りてきました。
弾丸旅行としては時計とにらめっこです。それにしても下から見ると、姫路城は大きいです。 
今度は西の丸にやってきました。こちらからも天守閣がきれいに見えます。 
親切な方が、写して下さいました。良い記念になりました。
西の丸御殿も見たかったのですが、外からだけ見て、姫路城見学は終わりにすることにしました。
外へ出てみると、小雨の中、長蛇の列。びっくりしました。私たちは、並ぶことなく、開門と共に整理券をもらって入場出来ました。これが無いと、天守閣に登ることが出来ません。そして、一日16000人と言う制限があるそうです。 
10時40分、今度は京都へ向けてバスは走ります。大阪の万博会場跡です。岡本太郎さん制作の太陽の塔です。久しぶりの再会です。どの位前でしょうか?万博に来ました。息子はまだベビーカーに乗っていました。懐かしいです。
京都は、久しぶりです。そして、余り地理に詳しく無いですが、土手沿いの桜もきれいです。鴨川に添ってバスが走り、その両側の桜がとてもきれいでした。
目的地へ着きました。京都御所です。春の一般公開に参加です。4月3日から7日までのたった5日間の公開です。このツアーを見つけてくれた夫に感謝します。
桓武天皇794年に京都へ遷都されてから大内裏の天皇のお住まいがありましたが、火災に合うと貴族の私邸に移られて仮皇居とされたことが、次第にいつも使われるようになった、1331年光巌天皇即位から明治2年の東京遷都まで皇居とされた京都御所だそうです。 
 宣秋門を入り、諸大夫の間を見ます。皇居を訪れた人たちの待合所です。身分に寄って部屋が3つに別れています。
そしてこれは其々の部屋の襖絵です。それによって、桜の間、鶴の間、虎の間と呼ばれています。
次に新御車寄があります。 天皇から許可のあった人だけがここまで車で入れたそうです。車と言っても、牛車です。
新御車寄は、大正天皇の即位の際に自動車が用いられ新しくつくられたとか。同じ、文字を書いても、一方は「おくるまよせ」こちらは「しんみくるまよせ」と読むそうです。
紫宸殿の南庭を取り囲むように朱色の柱、白壁が並ぶ回廊です。 
そこには大きなお花が活けられていました。ダイナミックで素晴らしいです。 
白い壁に黒い屋根の建物と、朱塗りの柱に白壁が対象的で美しいです。 
承明門です。真正面に紫宸殿が見えます、大きな建物、大きな門です。 中央の扉は天皇専用です。
 紫宸殿と書かれた額がかけられています。
天皇の即位式を行う一番重要な場所だそうです。
紫宸殿の前庭には、向て右に左近の桜が植わっています。満開が過ぎて、少しさみしい雰囲気になっています。 
紫宸殿は大きな建物です。本当に立派です。向かって左側には右近の橘が植わっています。 
どちらがどちらか判らなくなっていますが、正面には、八角形をした高御座たかみくらの隣が御帳台だったと思います皇后陛下のお座りになる場所です。
高御座は、8角形をしていて、真ん中に玉座が置かれています。
 
こちらは清涼殿です。天皇が日常生活をされる場所、御帳台の向こうには、御湯殿や、御手水が並んでいるそうです
大きな建物の軒下や、戸の格子がとても美しいです。屋根の下も、断面が白くぬられていて簡素で美しいです。
重要な儀式に使われる旗が公開されていました。きっと、作られた当時の最高最良の技術や品で作られたものでしょう。日本の手の技の素晴らしさがここに保存されているのだと思います。

上は 昭和天皇即位礼紫宸殿の儀(昭和3年)で使用した物、萬歳旙(ばんざいばん)と言います。左は即位礼当日紫宸殿の儀(大正4年)紫宸殿前の南庭に立てられる。「日像とう旙」と「月像とう旙」です。
鎌倉時代の頃から小御所と呼ばれるようになった御殿です。主に皇太子の元服や立太子の儀式、武士の謁見などに使われました。
寝殿造りから武家造りへと移行する時期の建築様式です。幕末の王政復古の大号令が発せられた小御所会議の場所です。

今日は、人形で御所での暮らしぶりなどを見せてくれていました。とても華やかな絵巻物でした。
「御内庭」御池庭と堀で区切られ、少し趣の違ったお庭で茶室などが配置されています。
日本の国をずっと見守ってきた京都御所を見て回りました。日本の大事な節目節目には、色々な意味で大きな役割を果たしてきた御所だと思いますと、感慨深いものがありました。 また機会があればゆっくり見て回りたいと思いました。

続いて「祇園自由散策」のためにバスが停まったのは知恩院の山門前でした。大きさに圧倒されました。
八坂神社の西楼門をくぐって、祇園にきました。 祇園とは、祇園社(明治以降は八坂神社)の門前町として栄えた繁華街です。丁度都踊りが開催されていて、賑わっています。都踊りは明治5年博覧会開催の余興として始まったものだそうです。
四条通から花見小路通りに入る角には有名な一力亭がありました。 ここは、赤穂浪士の大石内蔵助が通ったことで有名になっています。一見さんお断りの格式が高いお店としても有名だとか。
たくさんの人が行き交う花見小路通りを歩き回ったら、すっかり暑くなりました。休憩に入ったお茶屋さんであんみつ、お汁粉を食べました。本当においしかったです。ここは、お煎茶などを売っている御茶屋さんです。

八坂神社の西楼門を登って、円山公園へ
大きな枝垂桜も、満開で見事でした。今回はこの枝垂桜が見たくてここに来ました。
「円山の枝垂桜としては二代目だそうです。お花の正式名は「一重白彼岸枝垂桜」というそうです。京都市としてはとても大切にされているそうです。
他にも円山公園には様々な桜が咲いていました。この若い桜の木のピンクがとてもきれいでした。 

和服を来た若い人たちがたくさん散策しています。外国人も男性も、和服を着せてもらって、情緒を楽しんでいました。  日本文化の和服に親しんでくれる人たちが居るのはうれしいものです。

円山公園から知恩院の境内を通って、バスに戻り、神戸から船に乗って、大分へ帰りました。

4月7日朝7時、大分港も目の前です。新日鐵の工場の灯りがきれいでした。