English 2005年5月17日~21日:東京 |
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17日、 大分空港です、おりしも「アルゲリッチ音楽祭」の開催中です。アルゲリッチさんに見送られて飛行機に乗りました。 |
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東京のホテルには友人が待ってくれていました。そして、遅い昼食に付き合ってくれました。出かけた先は、雑踏の向こうに真っ赤な柱の「毘沙門天・善国寺」なんていうのがある街です。 | |
ケヤキ並木の坂道には「神楽坂」と書いた旗が並んでいました。 | |
古い町並みに料亭の看板があがっています。 | |
そんな路地を入った先に、ユニークなお店がありました。「ル・ブルターニュ」クレープのお店です。 | |
ブルタ-ニュ地方のそば粉のクレ-プ「ガレット」にりんごから作る「シードル」というお酒。初めて食べる珍しいお料理でした。 大分から引越しをした友人と久しぶりにおしゃべり、楽しい時間を過ごしました。 |
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18日 今日は友の会の会議で池袋です。重要文化財の明日館の生垣のバラがとても美しく咲いていました。 |
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会議の後は、すぐお隣の「婦人之友社」に行きました。明日からの友の会全国大会に備えて、館内は美しくいろいろ展示されていました。 婦人之友創刊者の羽仁もと子・吉一夫妻の気持ちを今も受け継ぐ婦人之友社です。 応接間には羽仁吉一の書が掲げられていました。 |
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展示室には、婦人之友社の発刊になる料理本などから料理やお菓子、手作りの洋服などが美しく展示されていました。明日からの大会に出席する全国から参加の友の会員が大勢見学に訪れていました。 | |
大都会の真ん中にあるとは思えない静寂に包まれた婦人之友社の中庭です。 | |
19日 2005年度全国友の会大会の開かれる南沢の「自由学園」にきました。 |
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1921年羽仁もと子・吉一夫妻によって創設された「自由学園」は、1934年に南沢に移転、今日に至っています。当時、吉一先生によって植えられた木々が美しい緑陰を作っています。 | |
羽仁もと子・吉一夫妻のお住まいであった「羽仁先生記念館」を大会前に見学することが出来ました。 | |
自由学園の記念講堂で大会がありました。昼食は私は学園女子部食堂で、生徒さん手作りの心の篭ったお料理を頂きました。(大会出席者380人は男子部食堂で、520人は女子部食堂で頂きました。) | |
食後は女子部体操館で、夏休みの子どもの集まりの打ち合わせを自由学園の先生達と一緒にしました。体操館の前に広がる大芝生がとても気持ち良いです。 | |
20日 日本青年館で開かれた全国大会二日目も無事に終わりました。夕食は真っ赤な夕陽を眺めながら、ビルの13階で頂きました。 |
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21日 今日はまた東京第一友の家で中央委員会がありました。明日館講堂脇の池に睡蓮が咲いていました。 |
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拍手の音、楽しそうな歓談の声が会議室まで届きました。明日館では結婚式が行われていました。 | |
若い2人の門出を祝うかのようにバラが咲き誇っていました。 | |
二日間の会議、二日間の全国大会も終わり、いよいよ大分へ帰ります。 宵闇の迫る羽田空港から無事に大分に帰ることが出来ました。 |
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(今日のおまけ)22日 昨夜は、暗くてはっきりわかりませんでしたが、朝、外へ出て見ると、我が家はすっぽりとネットに覆われて見えなくなっていました。明日から外壁と屋根の塗り替えが始まります。 |