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2004年6月2日:沖縄慰霊の旅へ
沖縄3日目です。夕方の飛行機の時間まで、沖縄の慰霊の旅に出かけました。那覇から国道58号線を北上します。
沖縄にある米軍基地の広さを実感して下さい、とタクシーの運転手がいろいろ説明してくれます。基地の滑走路の誘導灯が道路をまたいでいます。
ニュースでしか聞かなかった基地が目の前に延々と広がっているのを見て、まだ戦後は終っていないと思いました。
恩納村の『万座毛』です。「万人も座する草原」という意味だとか。『毛』とは、野原のこと。隆起サンゴの断崖から臨む東シナ海はとても美しい。
万座毛から今度は高速道路を走って南に来ました。玉泉洞王国村の入り口に沖縄の典型的なお墓がありました。
自然が30万年の時をかけて造り上げたという壮大な鍾乳洞を見学します。
サンゴ礁から生まれた鍾乳洞は、日本第2位全長5kmの長さがあるそうです。そのうち公開されている890mを見学しました。
鍾乳洞を出てくるとそこは、沖縄の歴史、文化、自然を体験できる沖縄ワールドになっています。屋根の上にシーサーが居る古い民家を見ることが出来ました。
エイサーが披露されていました。エイサーとは旧暦のお盆に先祖供養として踊られる盆踊りの一種だそうです。
糸満市摩文仁の丘の沖縄県平和祈念資料館にやってきました。
終戦から 50 回目を迎えた 6月23日の「慰霊の日」に、出来た平和の礎です。
慰霊の日には平和の火が灯されます。

世界の恒久平和の確立を願って、国籍及び軍人、民間人を問わず、沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名が刻まれています。沖縄県人148446人、県外人75457人、アメリカ人14008人等、計238429人の名前が刻まれています。(2003年6月現在)
次に雨の中、ひめゆりの塔にお花を供えてお参りしました。沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒222人による「ひめゆり部隊」が看護活動を行っていた最後の場所です。
多くの若い方々が犠牲になりました。すぐ側には「ひめゆり祈念資料館」があり、中には、生存者の書かれた日記がありました。沖縄戦でおじいさん、おじさん、おばさんを亡くしたというタクシーの運転手さんは、是非、読んで沖縄戦とは何だったのか、戦争の悲惨さ、おろかさを知って下さい、と言われました。
最後は重い気持ちになりましたが、今回の旅行では愛読者会に出席できて沖縄友の会の多くの方に会えた事、沖縄の今置かれている状況をこの目で見て、考える事が出来た事、など、有意義な旅になりました。
沖縄空港から福岡へ、そして、大分の我が家へと無事に帰ってきました。
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