English 2003年2月23日:雲仙から別府まで |
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朝、部屋の窓を開けてびっくり!なんと目の前に雲仙地獄が広がっているではありませんか。昨夜は霧が濃くて全く白の世界、何も見えなかったのです。 | |
大パノラマの右の端が、旅館「富貴屋」の温泉棟になっています。美しい展望の間も造ってあって地獄を見渡すことが出来ました。 | |
温泉の後は、朝食です。入り口にはお雛様がきれいに飾ってありました。 七曲登り詰めたる雛の宿 |
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お宿の浴衣と半纏で、温泉宿気分満喫!雲仙地獄を見ながらの朝粥朝食。自家製お豆腐がとってもコクがあっておいしかった。 | |
思ったより暖かな朝、散歩に出ました。 701年、行基によって開かれ、明治時代には多くの外国人に避暑地として好まれた雲仙は、昭和9年(1934年)日本最初の国立公園に指定されたこれはその大きな記念碑です。 |
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地獄巡りをしましたが、地熱と噴出する湯煙でとっても温かです。 | |
散策路はきれいに整備されているので、安心して見て回ることが出来ます。 | |
菊田一夫の小説「君の名は」の映画ロケ(昭和29年)で一躍有名になった「真知子岩」です。 「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う悲しさよ」という有名な言葉が刻まれています。 |
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温泉神社にお参りをしてホテル街に出ました。 「創業元禄8年306周年」と書かれたホテルの看板を見つける。 |
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また、こんな道路標識も見つけました。この道も国道57号線なんですね。 今から私達は大分まで200キロのバスの旅です。 |
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ゆったりと過ごせた温泉旅館とお別れをして今からバスの旅に出発します。 | |
大型観光バスに乗客は6名と言う贅沢なバスの旅。 まず、左に見えますのは、雲仙ゴルフ場です。日本で最初のパブリックゴルフ場として有名です。(1913年大正2年・開場) |
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バスは島原に下りて来ました。雲仙普賢岳の見えるレストハウスで休憩です。 平成2年11月から始まった雲仙普賢岳の火山活動はまる5年間続きました。 |
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レストハウスの中には、噴火の生々しい記録写真が展示されていました。 再びバスは走ります、普賢岳は雲の中でよく見えませんが、ここは、水無し川の防災工事です。 |
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バスは島原港からフェリーに乗ります。 岸壁を離れるフェリーから眉山が美しく見えます。 島原の子守唄聞く春の旅 |
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1時間ちょっとのフェリーの旅は、かもめとずっと一緒でした。 | |
熊本港に着きました。 またバスの乗客となりました。 |
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熊本駅です。ここで降りる人、またバスターミナルで乗る人、といろいろな人が乗り降りします。 | |
熊本ではこんなお弁当を車内まで売りにきてくれて、買いました。 | |
左に見えますのは、加藤清正の築城による熊本城でございます。大阪城、名古屋城と共に日本三大名城と言われています。 私だったら姫路城を入れるでしょうに、と思う兵庫県人の私です。 |
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ウトウトとしているうちに、バスは阿蘇へと入ってきました。 右に広がるのは草千里でございます。所々に雪も残っていて寒そうです。 |
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阿蘇ロープウエー駅です。霧が激しいです。 | |
ロープーウエーに乗って山上駅にやってきました。満員の乗客でしたが、殆どの方の話している言葉は全く分かりませんでした。 | |
折角、阿蘇の火口にやってきましたが、霧で全く何も見えません。 | |
写真を一枚写したと思ったら、「火山ガスが危険ですからすぐに離れて下さい」と監視員のマイク。喉をいる火山ガスでたちまち咳き込みます。 | |
山上滞在5分、という感じで、またロープウェーに乗りました。霧が無かったらきっときれいな景色でしょうに残念です。目の下には霧が動くと雪が見えました。 | |
残念な阿蘇山でしたが、まだまだ山上は寒い冬です。またバスに揺られているうちに、やがて見慣れた山が見えてきました。 由布岳です。ようやく帰ってきました。 |
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戻る | シニアネット諫早NPO法人設立記念講演会に招かれて思いがけず二人で雲仙温泉、地獄、阿蘇山、バスの旅、と楽しんだ二日間でした。 |