2001年アメリカ・ドイツ旅行の記録 |
2001年9月26日:アメリカのシカゴに着きました.
JAL010便は頼もしいエンジンの音を響かせながら太平洋上を飛んでいます.
機内はどの位の乗客数でしょうか.後ろが空いていますので良かったらどうぞ,という声かけで私たちは後ろの方の座席に移りました.そこでゆっくりと寝たり,テレビを見たり,おいしいワインを楽しんだりしました.
入管手続きのための書類を作成します,
素晴らしい太陽がアメリカ大陸に昇っています.どうぞこの素晴らしい夜明けがこの地球にいつまでも続きますようにと思わず祈る思いがしました.
さあ,シカゴに無事に着きました.機内から出るとすぐに星条旗と花輪が飾られた所がありました.そして「ながのみえこさんはいらっしゃいませんか」という声にびっくりしました.現地の係りの方が大きく書いた名札を用意して声をかけてくれています.
何事かと思いましたら,シカゴからワシントンへ行くチケットの振り替えが決まったので手続きをして下さいという案内でした.
アメリカの同時多発テロ以降,ワシントンのレーガン空港は閉鎖されたまま,都市の安全のためにそのまま永久閉鎖になるようです,そのために発着便の振り替えが行われています.私たちのワシントン行きのチケットもダラス空港着に振り返られました.
この件に関してはテロ直後からニューヨークの塚本氏が大変心配をして情報を集めて下さっていました.
オヘヤ空港のロビーに出て早速,Donさんに電話をしました.なかなかうまくつながらなくて困りましたが,やっと連絡が出来,やがて懐かしいDonさんが会社を抜け出して迎えにきて下さいました.3年前のアメリカ旅行以来です.とってもうれしい再会でした.
私たちも空港の前で記念写真を写し,懐かしいシカゴの道路を走って郊外のDonさんの家に着きました.
元気なまゆみさん,かわいい二人の子供さんに迎えられました.
Donさんの家はかわいいおもちゃとパソコンのたくさんある家でいた.メインの寝室に設計されている大きな部屋がパソコンルーム.移動体通信の会社に勤めるDonさんは帰宅後も日本との仕事をしたり,ここは小さなオフイスのようでした.そこのまゆみさんのパソコンを使わせてもらって私は早速,心配をして旅行に送り出して下さった友達などにメールを書きました.
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