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2000年8月9-14日、お盆の一人旅 : by Mie

8月9日:1月に亡くなった父の初盆のお参りにふるさとの兵庫県龍野へ帰りました。列車で一人旅です。
大分駅からソニックに乗りました。中津駅のながーーい「はもベンチ」が面白い。
小倉から新幹線に乗りました。これは博多行きを写しました。
広島です。つい先日の6日には「ヒロシマ原爆慰霊祭」があり、テレビの画面に合わせて黙祷を捧げました。
9時15分に大分駅を発ち、龍野の実家に着いたのが2時過ぎ。
いつも父が座っていた椅子に座って、普段、一人暮らしの母とお茶を飲み父の思い出話しをいっぱいしました。
東京で暮らしている弟もすぐにやってきました。

8月10日:朝の散歩に弟と出ました。聚遠亭の池には、スイレンの白い花が咲いていました。
山の公園を一回りして町に下りてきました。ここは、古くからのお醤油工場のある町、龍野です。
「うすくち龍野醤油資料館」があるので入ってみました。

(そのレポートは、右の写真をクリックして見て下さい)
午後には姉夫婦も飼い犬のアンと一緒に高知から車で到着です。

夜は、家の近くにある国民宿舎「赤とんぼ荘」に行って、父の初盆の会食を中華料理でしました。そして皆でそこに泊まりました。
8月12日:今は姫路市に編入されている林田町にあるお墓に行きました。皆でお墓の草取りなど掃除をしてお参りしました。
 
初盆のお経も上げてお参りが済んだので、高知に帰る姉夫婦の車に便乗して私も久しぶりに高知へ行くことにしました。
お盆の帰省ラッシュにあったり、トンネル内では、玉突き事故を見たりしましたが、無事に瀬戸大橋を渡っています。
途中、与島に寄りました。

そしてまた、瀬戸大橋に乗りましたら、対抗車線で、交通事故があり、クレーン車がきて対処中で通行止めになっていました。
私達の走っている路線でなくて良かったね、と思いましたが、反対車線は長い渋滞となり大変な様子でした。
瀬戸大橋を渡りきって、いよいよ四国の高速を走ります。室戸岬への分岐点です。私達は勿論、高知めざして走ります。

高知の手前、南国で高速を降りましたが、そこまでにトンネルが19本、あると書いてありました。5000m近いトンネルが1本、3000mのトンネル2本を含んでいます。
8月13日:姉の家でゆっくりと過しました。兄も昨年からインターネットを始めました。カメラがついていたので、東京の甥とネットミーテイングで、テレビ電話やお絵かきを楽しみました。

また、高知に住んでいる甥がアメリカンハウスを建てたというので見に行きました。女の子が二人いて、とても可愛かったです。
高知ではもう稲刈りの済んだ田んぼもたくさんあります。稲が黄金色に実っていたりして、何だか不思議な景色でした。
 
姉の家にはアンという犬がいて、龍野へも一緒に来ていました。
私にもすっかりなついてくれて側でおとなしく寝そべっています。
8月14日:朝、海まで散歩に行きました。青い青い海がどこまでも広がっています。
この海は4月に旅したオーストラリアまで繋がっている、と思うと何だかとても不思議でした。

坂本竜馬がこの海を見て、世界への飛躍を夢見たというのも分かるような気がしました。
短い高知滞在でした。今日はもうお別れです。土讃線の御免駅から列車「南風6号」に乗り岡山経由で大分へ帰ることになりました。

姉夫婦に見送られて私は列車に乗りました。
 
来る時には高速道路でしたが、今度はのんびり列車の旅です。
大歩危小歩危で名高い大歩危駅には、かずら橋の模型が置いてありました。
深い谷川が右に左に見えます。そしてまわりの山肌には急な傾斜に幾つもの家が建っています。
阿波池田を過ぎると今度は列車はどんどん山を下って行きます。そして田んぼが広がってきました。やはりここも、稲刈りが済んだ田んぼ、これから稲刈りという田んぼとあります。
  
やがて、列車は瀬戸大橋を渡ります。ゴーゴーと音を立てて走る列車の下には海が見えます。
往路はこの上を走ったのかと思うと何だかとても不思議でした。
列車は岡山駅に着きました。私は南風6号に別れを告げ、新幹線に乗りました。
小倉から「にちりん」に乗り、大分へ無事に帰ることが出来ました。

御免駅を10時10分に発ち、大分駅着16時50分、6時間40分の旅でした。亡父の初盆を機会に高知まで足を延ばすことができいろいろと思い出を作ることが出来ました。。