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4月10日、午後6時半、私たちは西大分港からダイヤモンドフェリーに乗って神戸へ向いました。 |
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4月11日の朝、フェリーの中で目が覚めると丁度、明石大橋の下を走っているところでした。東の空には、太陽が顔を見せていました。何だか今日はいいことのありそうなそんな予感のする朝でした。 |
神戸から私のふるさと、龍野市の両親の住む家に帰りました。昼ごろから素晴らしい青空になりました。両親が選挙に行くというので、一緒に出かけました。この辺りは城下町の面影をたくさん残している所です。 左の写真・左の白い土塀の中が私の卒業した小学校の体育館でここが投票所でした。右の白い建物は小学校の校舎、突き当りには竜野城の隅櫓が桜の枝越しに見えています。 右の写真・竜野城のある公園にやってきました。家からは歩いても数分の所です。 | |
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この竜野城のある公園一帯は、母の卒業した龍野女学校の跡地、そして私の卒業した中学校の跡地でもあります。 江戸時代にはお殿様の御殿が建っていた所です。昭和54年にその御殿が再建されました。 女学校の跡地の記念碑の所で父が記念写真を写してくれています。 |
桜は、今日が最後の見頃でしょう。たくさんの人が見に来ています。撮影会もあったようで、大きなカメラを持った人がたくさんいました。 薄いピンクの染井吉野もたくさんありますが、濃いピンクの枝垂れ桜が一際目を引きます。 | |
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隅櫓のまわりも染井吉野が美しく咲いています。 |
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御殿の入り口です。竜野城は室町時代(15世紀項半)には鶏籠山の頂上に砦のような山城が出来たのが最初ですが、幾度かの戦で焼け落ち、江戸時代の築城の頃はもう日本も平和で外様大名だった竜野藩は、このような平城の御殿を建てました。 |
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御殿の中に入ってみました。ここはお殿様の御座所です。右の襖の陰にお殿様警護のお侍が隠れていたのだそうです。 |
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御殿の前には庭園が造られています。ここでのお花見は皆さん、静かに花を愛でる人ばかり、お酒を飲む人もなく、大きな声を出す人もなく、大変気持ちの良い場所になっていました。 |
お城の門に通じる道です。白いお城の塀には、鉄砲狭間が開いています。丸や三角でまるで現代の彫刻のようです。右の写真の山の上に見える建物は国民宿舎の「赤とんぼ荘」です。 | |
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こちらがお城に入る門です。埋み門といいます。両側は大きな石垣が組まれています。 中学生の時には、この坂道をいつも遅刻をしないように駆け上っていたのを懐かしく思い出しました。 |
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また、播磨の小京都と言われている竜野公園のお花見にも行きました。桜並木には、ぼんぼりが建てられてたくさんの人がお花見に訪れています。 |
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ここは、江戸時代に城主脇坂安宅が孝明天皇から拝領し京から移築された聚遠亭と言うお茶室です。心字池の上に建てられています。淡路島や瀬戸の島々を一望することが出来ます。周りには枝垂れ桜が植えられて撮影スポットとして一番の人気の場所です。 大分では出かけていってのお花見の機会の無かった私たちですが、故郷の竜野で思いがけず静かな素敵なお花見が両親と一緒に出来てこんなにうれしいことはありませんでした。 竜野公園・国民宿舎「赤とんぼ荘」・・・・兵庫県竜野市龍野町 |