「南蛮文化研究会」
2022年10月9日豊後コレジョの一期生J.ロドリゲスを中心に
秋と共に楽しみの竹井先生の講座の案内を頂きました。今回より、竹井先生を中心に、「南蛮文化研究会」として松尾さんが事務方をして下さっています。

相変わらずお元気な竹井先生にお会いしてうれしく元気が出ました。 
講座の内容は前回の続きですが、新たに加わられた方もいらっしゃるとのことで前回の内容も詳しく補足されました。今日の主人公は、19561年頃の生まれと言われているポルトガル出身の孤児ロドリゲスの経歴です。1577年頃に来日、京を経て豊後へやってきました。
その頃の豊後は、1595年ティセラによる地図にも大きくBVNGOと書かれていますし、他にも日出、佐賀関、臼杵も地名が書かれている、大分はそんな時代だったことに驚きます。豊後のノヴィシャド 、コレジョの第一期生として早くから才能が認められ、1591年には天正遣欧少年施設に同行し、その後は秀吉、家康の通詞までなっています。
当時は、日本語の発音を英綴りに表し、そして覚えて行ったようです。当時は信長の時代への転換期、1576年のクリスマスにはオルガンティノの元、クリスマスに教会の献堂式などが行われた。
1580年にはヴァリアーノが臼杵へ到着、宗麟に会う。持参のオルガンでミサを行う。もう一台は信長に贈られた。同じ年のクリスマスには臼杵のノビシャドの落成式が行われた。本当に先進地だったのですね。 
 
竹井先生の探求心は、当時のオルガンとは、どんな仕組みでどんな音が出たのか、と、とうとう、オルガンを専門家に作ってもらい、演奏をされたそうです。ふいごで風を送り、そして鍵盤を押すと音が出るという楽器。若き日に、オルガン演奏をされている竹井先生の写真です。 
 
ヴァリアーノがヨーロッパから持参した2台のオルガン、一台は信長に、一台は大分へとそれほどに大分・豊後は大切な場所だったのですね。この写真は、ザビエルが大分に来て、その後、優秀な伝道師たちが訪れ、それと共に、医療や、西洋音楽、キリスト教などが伝わる。その記念は大分県庁前の遊歩公園に数々のモニュメントとして遺されている。