2021年12月28日:大分市の高瀬石仏

年末で大忙しですが夫を理髪店に送って、その間は、忙中閑ありと七瀬川公園に行ってみた。
水場でかるがもの親子が賑やかに遊んでいる、ダイサギでしょうか、見張り人のように、溺れそうなものはいないかなという風に見ているのがたのもしい。
遠くに由布岳が見える、山肌は白い、雪が積もっている。雄大な姿は豊後富士にふさわしい雄姿です。 
公園の裏の方には「高瀬石仏」がある、駐車場もあるので、車をおいて見に行く。 
しばらくぶりの訪問、山肌に築かれた石仏群、貴重な「国指定の史跡」(昭和九年指定)です。きれいな覆屋(保護屋根)が2011年4月22日に出来たそうです佛様の前には柵も一緒に出来ています。これで石仏が自然の力からも守られていくと思いますと本当に良かったなと思いました。 
一度前を通り過ぎて、反対から写してみる。本当に山とは言えない丘の斜面をくり抜いて作ったような所だ。丘の中の水分を石仏を避けるように黒いホースで水を導いているのだろうか。後世にも残したい貴重な遺跡です。 
 
案内の陶板に描かれた石仏の姿とお名前です。
実際の壁面の石仏です。12世紀頃に作られたと言われています。大分には石仏がとてもたくさんあります。こちらへ来るまでは石仏というものは見た記憶が無いと思います。

「深沙大将」です。とても珍しい姿をしている、胸に9個の髑髏をもち、腹部に童女が描かれ、手には蛇を握っている、このジンジャ大将は三蔵法師がインドを往復した時に砂漠に現れ守ったという鬼神だとか。 
続いて「大威徳明王」です。威厳ある徳の高い仏様、六つの顔、六本の足で牛にまたがる勇ましい姿で、衆生を害する怨敵一切を滅ぼす仏様だとか。
中央に座っているのが「胎蔵界大日如来坐像」母親が胎児を蔵して育てる優しい仏様との意味がある。諸悪煩悩、を取り除く仏佛様で真言宗のご本尊大日如来には知的な面を示す胎蔵界と理的面を示す金剛界があるが、大分県では金剛界が多く、胎蔵界はとても珍しい佛です。
その右が「如意輪観音座像」です。如意宝珠を持ち、意の如く福徳をもたらし、玉・仏教の教え知恵を満たす意がある。如意棒をもっていると一切の苦しみを救い災禍を除く、皆の願いを叶えてくれる佛様です。
一番右が「馬頭観音座像」です。六観音の一つで頭上に馬の頭を頂く。一切の障害を取り除く仏様です。俗信では、農業等で働く馬等の安全を祈る家畜の仏様とも言われています。 (国指定史籍「高瀬石佛」文化財サポーター永富正巳様)の、掲示を参考にさせて頂きました。
高瀬石仏は 平安時代後期、12世紀ごろの制作とのこと。大分川支流の七瀬川右岸の字加羅(カラ)にある、数少ない石窟形式の摩崖仏です。七瀬川流域は、当時、稙田氏の勢力とされていることから稙田氏が造ったのではと言い伝えられてるようです。 大分に多いのはこのように、崖に直接彫る「摩崖仏」というもので県内に約400体ほど、そしてそれは全国の8割にもなるともいわれています。何故、このあたりに、摩崖仏というのが多いのか不思議です。 当時は末法思想というものがあったこと、そのために極楽往生を聞き遂げて下さる阿弥陀如来への信仰が大きかったので、中央に阿弥陀如来をおいて築いた野では無いか。
源平合戦で源氏に加わった豊後地方の大神氏の勢力が強く、その領土に摩崖仏が多いことから大神氏と関係があるのではとも言われているらしいがしっかりとした文献等は残っていないとか。