2020年4月2日:豊後国分寺跡の桜
日課になっている散歩に出た夫から電話が入る、「歴史資料館の桜がとてもきれいだから、ちょっとカメラを持って来ないか?」 ほとんど人はいないとのこと、桜を見て、すぐに帰ると良いから」

すぐに車で「大分市歴史資料館」の駐車場に向かいました。7~8分です。 
この大きな立派な建物が歴史資料館です。コロナウイルス感染予防のために、閉鎖されているので、入ることはできません。 
立派な建物の大屋根には、両端には鴟尾(しび)というのが上がっている。沓の形にも似ていて沓形とも言われる。中国からきたもので日本ではあすか時代から、その後なあ・平安時代を通じて宮殿や寺院などに用いられた。火事除けのために設置されたとも言われる。後には鬼瓦に代わっていく。
この場所は昔、豊後の国分寺があったところ、広い公園には、国分寺の堂塔の礎石などが残っている、好きな場所です。本当に桜が美しく咲いている。コロナウイルスの外出自粛で申し訳ないほどに人が居ない。 
 
 桜の向こうに大きな瓦屋根が見えている。国分寺は天平13年(741年)に聖武天皇の勅令で僧寺・尼寺が建てられた、
発掘調査で寺域は東西183m、南北300mとわかり復元された。この中に中門、金堂、講堂、食堂、が南北に並び、近藤の南西に七重塔が位置する大管大寺形式の伽藍を有していたとなる、夫の横のタイルにはここにあった講堂の構造、大きさ、礎石の跡などの説明が書いてある。、 
  
本当にさくらが満開で、見る人は私たちと、犬の散歩の方くらいで、申し訳ないです。一番の見ごろですね。
 ここから脇道へ入ると、ガラリと雰囲気が変わります。古いお寺があって、本当に静かな空間です。
かわいいお地蔵さまも祀られています。
 竹筒には、素朴なシャガの花が挿されています。
石仏があちこちに座っていらっしゃいます。
なんとも良いお顔の仏様、悩みも苦しみも何でも聞いていただけそうです。 
 お堂の周り縁に置かれた素朴な筒にどなたが生けられるのか、心なごみます。
縁に腰かけて、お花を愛でる、今日は何て佳い日なのでしょうか 
 薬師堂を回り込むと、丸くて平たい石が据えられています。昔ここにあった、金堂の基壇が発見された。
観音堂が建っている跡には、七重の塔が建っていたと言われる。建物は初層の1辺が11メートル、高さは推定60メートル余という巨大な塔であったと考えられ、全国に64寺ある国分寺の中でも3本指に入るとも言われる。
 羅漢さんが思い思いのスタイルで座っていらっしゃる、何だか親近感の出る仏様?仏になりたい修行僧?人間味があって、いいです。
資料館の門から中へ入って、桜を見て、整備された伽藍跡地を経て、国分寺の跡に建てられた年月を経たお寺を見て、広い公園を一回りして本道に出ました。青い麦畑の向こうを湯布院へ向かう列車が走ります。 
 
麦場開けの向こうには、桜がたくさん続き、そのずっと向こうには、霊山の山並が続きます。なんとも、天平の甍を思い出す、田舎の光景です。豊後国分寺は、日本では全国的にみて、上野国、相模国と並んで三指に数えられる規模の国分寺なのだそうです。凄い勢力があったのですね。