2019年7月26日:ベートーヴェンの生涯と作品
ーベートーヴェン不滅の恋人をめぐってー
最初、会場を間違えたかな?と思いました。正面に竹井先生がいらしたので、ああ、大丈夫と入りました。 今日は 「ベートーヴェンの生涯と作品」ーベートーヴェン不滅の恋人をめぐってーというタイトルで竹井先生のレクチャーがあります。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏に取り組んでいるウェールズ弦楽四重奏団の第4幕の演奏会が8月にある、そのレクチャーです。

ベートーヴェンになり切っているのですが、いかがでしょうか?と今回の狂言回しの八坂さん、講師は宮崎大学名誉教授の竹井成美先生です。
レクチャーして下さるのは、ゆふいん音楽祭がご縁で親しくして頂いている竹井成美先生(宮崎大学名誉教授)です。
私は久美子さんと出席しました。
 
第二回レクチャーは「喫茶・ベートーヴェン」でのお話。第3回目のレクチャーは、「ホイリゲ・ベートーヴェン」にての~ベートーヴェン・不滅の恋人をめぐって~ドイツのボンやウィーンで素晴らしい女性がベートーヴェンの周りにいた。晩年は耳が完全に聞こえなくなって、と聞いていましたが、このような華やかな、またひそやかな時間もたくさんあったのだと、ちょっとホッとしました。 
手紙と二つの肖像画が発見されてこの手紙はいつ誰が出したものなのか、と、恋人探しが始まりました。数人の女性の名前と写真や肖像画が発見されています。 
 竹井先生のお話の途中で、ワインが届きました。なんと、ベートーヴェンさんのお顔がついています。気になります。
と思ったら、休憩時間になりました。お飲み物をいろいろと用意していますので、お好きなものをおっしゃってください、とホイリゲベートーヴェンのマスター八坂さんです。 
 ナフキンペーパーが配られました。なんと、100ユーロが8枚、800ユーロのナフキンです。びっくりしました。愉快ですね。
その上に、素敵なお弁当まで配られます、デザート付きです。どうぞ召し上がれということで、ベートーヴェンさんのワインを飲み、お弁当を頂きます。とてもおいしいです。 
ワインが気になってネットで調べてみました。MAYER AM PFARRPLATZウィーンのホイリゲの名前というか、ワインセラーの名前なのか、よくわかりませんが、べートーヴェンが第九を作曲した場所だそうで、それでワインにNo9第九と書かれているのですね。みたいなことが分かりましたが、写真を見るととても素敵な雰囲気で行ってみたい!と思いました。
後半はリラックスされて聞いてくださいとのこと。このベートーヴェンさんはよく見るお顔です、1819年、ミサ・ソエムニスに着手そのタイトルの書かれた譜面を持つベートーヴェン1819年の肖像かな?とのこと。

左上の婦人肖像画は、たくさんの女性の中の真の「不滅の恋人」かとも言われるアントーニア・ブレンターノ、このころ、ブレンターノ夫妻が物心両面でベートーヴェンを支えていたそうです。
ベートーヴェン(1770~1827)57才で没 アントーニア・ブレンター(1780~1869)が亡くなったのは89才でした。
そんなお話を伺いながら、デザートのプリンを頂いています。申し訳ありません。でもとてもおいしい!

1827年3月29日のベートーヴェンの葬儀に集まった人たちの長い行列です。3万人のウィーン市民が集まったとか、この時はベートーヴェンを尊敬していたシューベルトも参列していたとのことです。
ベートーヴェンは、晩年に耳が聞こえなくなって作曲には大変苦労したのではと、そんな中での素晴らしい多くの作品を残してただただ音楽的にすごい人、と思っていました。今回、恋人探しのお話を伺って、人間べートーヴェンを感じることが出来てとてもうれしく思いました。これからベートーヴェンを聞く時に今までとちょっと違う気持ちで聞けるかもしれないと思うと楽しみです。
講義を終えられて竹井先生もリラックスされています。今夜はどうもありがとうございました。

学校の音楽室に並んでいた作曲家の写真・肖像画を思いだします。やはり凄い人たちがキラ星のごとくに排出した時代だったのですね。
年表を見ていたら、12歳でオケ付きチェンバロ奏者となる、13歳で正式のオルガン奏者に就任、報酬をもらうようになる。15歳でピアノの出げいこに行く。ベートーヴェン16才の時にフィガロの結婚の初演が行われています。17才でウィーンへ研修旅行、モーツアルトを訪ねるが会えなかった。とのこと、
今も演奏会で聞くことの出来る音楽がこの時代にたくさんたくさん作曲されたのですね。そしてそんな作曲家が活躍をしたウィーン、また行きたくなりました。ベートーヴェンさんはじめ多くの作曲家の皆さん、ありがとう!と言いたいです。