2018年10月7日:グランツたけたオープン
2012年7月12日の九州北部豪雨災害で甚大な被害の出た九州各地でした。竹田市も大変でした。その時に水を被った文化ホールが6年経った今日、開館記念式典を行うのでご出席をとの案内を頂いて大分友の会から4名で竹田にきました。

竹田はトンネルの街、どこから行くにもこのようなトンネルを抜けて往来します。 
玉来川を渡って 新装なったホールに到着します。ホール前、川の土手も今日は駐車場になっています。九州北部豪雨の時はこのあたり一面水に覆われました。約一か月後の8月9日に大分友の会はわれらの公共費や大分友の会からのお見舞金を持って竹田市へ入りました。その時の様子は写真にマウスを当ててご覧ください。水が引いた後ですがまだまだ大変な状態です。右の茶色い建物が旧文化ホールです。
 こちらがこの度、新しく建て替わったホールです。木の香一杯立ち込める建物です。お庭では若い方々がテントを立てて屋台を開いて楽しまれています。

受付を済ませて、竹田市長さんにお祝の言葉を伝えご挨拶を致しました。
そして、ギャラリーで開かれている「特別展示、竹田を紹介する展覧会」を見ました。ノーベル文学賞を頂かれた川端康成氏は久住、長湯などが大好きで作品執筆のために何度も来られて、書も残されています。ノーベル賞受賞記念講演の言葉がタイトルとなった展覧会です。 
 会場には刀剣がたくさん展示してありました。そして、刀鍛冶の方が、刻印を彫り込む工程を会場で見せて下さっていました。
会館のホワイエでいよいよ開館式セレモニーが始まりました。設計者、建設会社、施工業者様への感謝状贈呈があり、続いてはこの会館の名前を公募したところ、高校生の応募「グランツたけた」が採用されたとのことで賞状が贈呈されました。竹田の首藤市長さんと、高校生です。

グランツとはドイツ語で栄光、きらめく、輝くなどの意味があるそうで、ドイツとの交流が盛んな竹田市にふさわしい名前です。
続いてホワイエに置かれる彫像の除幕式です。市長さん、建設会社さん、彫像作者の原田裕明教授、たちが紅白のリボンを引っ張って除幕されました。それは、滝廉太郎像です、多感な少年時代を竹田で過ごしのち、ドイツへ西洋音楽を学びに行ったものの病を得て帰国、大分でわずか23歳の生涯を終えた楽聖です。
豪雨被害で昭和51年の開館以来約40年、市民に愛され親しまれてきた文化ホールが新たにグランツたけたとして生まれ代りました。滝廉太郎とゆかりの深い竹田では声楽を志す高校生対象のコンクールを続けてきました。これからはこのホールで更に続けられていきます。今年は72回目です。
新しいホールは廉太郎ホールと命名されています。テープカットには首藤 市長さんを中心に左はドイツの姉妹都市バートクロツィンゲン市の市長さん、25名で団体を組み、記念式典に出席されました。右は「竹田市の歌」公募の審査員のお一人声楽家の佐藤しのぶさんです。。
 テープカットが終ったので、私たちも廉太郎ホールへ入ることが出来ました。入ってすぐに周りを見渡しました。三方が3階まで椅子が並び、きらびやかな雰囲気で素敵です。
座り心地の良さそうな黄色い椅子に、名前を書いた記念品の袋が置いてありました。私たちの席は前から5.6番目、とても良いお席を用意して下さっていました。 
竹田市長の経過報告があり、その後、来賓の方々の祝辞、そして、場面は一転、金屏風の前で地元竹田出身の若い舞踊家、花柳美匠治郎さんによる長唄「松の三番叟」で舞台開きです。 
 竹田市の歌「私は空」の発表、ピアノも洪水をかぶりすっかりダメになり新たになりました。スタンウエイです。

竹田市少年少女合唱団再編成発表会、素晴らしい天使の歌声のようでした。
最後は竹田市内の公立幼稚園の園児によるグランツのイメージソング「かがやく未来へ」
可愛くて、そして、どの子も楽しそうに、難しいマスゲームを踊りました。竹田の未来は心配ない!との声が上がっていました。 
長時間のセレモニーでしたが、お祝の気持に溢れたプログラムで共にお祝出来る幸せを感じました。
終了後、外へ出てきて大分友の会出席者の記念写真を写して頂きました。 

白い名入袋に入っていた色々、グランツたけたのパンフレットや今日にいたるまでの記録とプログラムの書かれた冊子、記念品の布巾はグランツたけたのイメージカラーです。
最後に頂いた麦酒は竹田で出来たホップを使って作られた麦酒 IBUKIです。  
頂いた素敵なコースターを使って夜に早速、頂きました。香りの良いおいしいビールでした。市外の醸造所で作られたようですが地元で出来ると良いなと思いました。

今日は新しくなった「グランツたけた」 開館記念式典おめでとうございました。
記録・文責:Mie