今日は久美子さんの車で安岐町の梅園の里まで行きました。そもそもの発端はこのテレビ放映です。これをたまたま見た久美子さんが、行ってみたいと誘って下さった。 
大分から高速道路を走って、別府の十文字原の裾を走って、、とっても気持ち良いドライブ、行楽日和です。
ここを走るのが好きです。すぐ横の別府ゴルフクラブからのボールが飛んで来ても大丈夫なようにネットを張るようになっている、とても珍しい高速道路では無いかと思います。
大分空港道路を走って、高速をおりました。真っ青の海が目の前に、そして、その先が大分空港です。今日の目的地は、空港への道では無く、すぐの岐路を左折、この看板が三浦梅園さんのレリーフと梅の花が描かれています。
しかし、その後、道を間違えて、ドンドン進んだら、どうも違う、もっと山へ向かって走りたいのに、と、ガソリンスタンドで聞いたら、丁寧に教えて下さって、戻ると、道が判りました。
そして、この大きな入口の標識、三浦梅園の「梅園の里」です。梅の花も見えます。
まるでどういう所か判らずに来ましたが、建物の中に入ります。椅子がたくさん並べてあって、真ん中には売店があって、人がボツボツ集まり始めています。奥には、「おふるまい会場」と書かれて田舎ぜんざい、梅茶、梅ちらし寿司、とこの三種がふるまわれるみたいです。
まだかまだかと待っていると、スタッフがさあ、始めますよ、と声をかけました。たくさんの食器やお箸、御手拭などが用意されています。思わず、お手伝いをしたくなりました。
たちまち人が押し寄せて、でも、本当に前だったので、きちんと、三種のおふるまいを頂くことが出来ました。梅茶がとてもおいしかったです。おぜんざいはこの小さなチョコのような器に、ちょこっと入っていて、とってもおいしくて、もっと欲しいなと思いました。お寿司もやっぱりもう少し食べたい!でした。
気がついて、振り向くと、本当に入り口まで続く行列が出来ていてびっくり。早々にご馳走様、と器を返して場所を譲りました。
お昼には、評判のランチバイキングを食べましょうと、チケットを買ったら、お風呂に入っても良いとのこと。時間までお風呂に入ることにしました。ここは両子山より湧出する走り水を沸かしたお湯だそうです、窓から梅の花が見えたり、湯上りはとても気持良くなりました。
 
1階ではご婦人方の大正琴の演奏があり、テレビカメラに観客の皆さんも熱心に見ておられました。
その後、暫く待っていると、次々と人が来られます。皆さん、ランチバイキングに入られるようです。これは凄い人だと思っていたら、案内があり、名前とテーブルを告げられて、レストランに入ることが出来ました。真ん中にお料理の数々、
3人で其々に、貰って来たら、とっても沢山テーブルに並びました。残さないように、おいしく頂きましょう。お野菜料理がたくさんあって、どれもお味も良くておいしいこと。
もう少し食べたいな、と思っていた梅ちらし寿司です。タケノコご飯もあります。旬のものが一杯ね、と言っていたら、テレビカメラが来て、どうぞそれを言って下さい、とうとう、リハーサルまでさせられてインタビューに答える羽目になりました。ケーブルテレビなので、見ることも無いでしょうが、、、、お食事満足して、と思ったら、最後にこれを食べなくては、と、夫が持ってきたのが桜豚のシャブシャブ、ふわふわで溶ける様に優しくておいしかったです。
 
いよいよ梅を見に行きました。いろいろな種類の梅が咲いています。もう散ってしまった梅もありますが、見頃の珍しいお花もあって、いろいろ楽しめました。 
久美子さんと一緒にパチリです。帽子を忘れてきていたのですが、車の中にあった帽子をお借りしました。 
周りの梅は枯れてしまっているのに、この木だけ、満開でした。鹿児島紅という種類でしょうか? 
たった1本の梅が大活躍です。 ここは陽だまりのような場所でとても暖かかったです。
紅梅、白梅が揃って咲いていて、そこへ久美子さんです。立派なカメラを持った方が、来られて、いろいろと、光の反射、逆光、梅を写すには、などなど、レクチャーして下さる。この時は、私のカメラの上に手をかざして、太陽を遮って下さって、ハイ今!と、シャッターを押す。そう、顔がはっきり写ったでしょう?と。まずますの成績だったでしょうか? 
ここは、真白の梅が光にあたって、本当にきれいに輝いています。とてもきれいに撮れました。 
さあ楽しかったです。おふるまいを受け、お風呂に入り、ごちそうをたくさん食べて、梅を見て、カメラ教室までして頂いて、本当に愉快な一日でした。 
また高速を走って帰ります。ここがカメラポイントよ、カメラが間に合わない、、、と、大変でしたが、春になってかすかに木々が芽生えているのでしょう。おぼろにかすむ山々がとても美しいです。
今日は梅園の里まで、ありがとうございました。 
三浦梅園(1723-1789)
江戸中期の哲学者。名は晋(すすむ),字は安貞。豊後(ぶんご)国東(くにさき)の人で,帆足万里(ほあしばんり),広瀬淡窓(たんそう)とともに豊後三賢の一人に数えられる..