2013年2月2日:立春を前に海へ |
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今日は余りにもお天気が良くて、ポカポカ陽気、こんな日は、どこかへ行きたくなります。久しぶりに海を見たくなりました。 大分市の臨海産業道路、通称40m道路を東へ走ります。 |
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広い3車線の道路の左は、工場地帯、中央分離帯の植栽を隔てて、街が広がっています。 工場と道路の間にはたくさんの木が植えられています。一番道路際は山茶花が満開です。 |
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本当に青空が美しい土曜日の午後です。 | |
工場の方へ、入ってみました。 | |
ここは、道路と工場の緩衝地帯となっている植栽された所です。広い広い森のようになっていて、散策路が出来ています。 | |
入口にはこの緑地帯の歴史が書かれています。夫たちもどんぐりを拾って、ここに植樹をしました。そのどんぐりは我が家にも植えましたが、余りにも大きくなったので、1本を記念に残し、後は伐採をしました。今も秋になるとパラパラとどんぐりが落ちてくる我が家の庭です。 写真をクリックすると、もう少し大きな写真を見ることができます。 |
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昔、仕事をしていた事務所の前で、記念写真です。パチリ! | |
これは、見学者用の駐車場です、屋根には太陽光パネルが敷き詰めてありまました。 | |
しばし感慨に浸って、また臨海産業道路を東へと走ります。どんどん海が近寄ってくる感じです。 | |
工場用地の埋立地に沿って、走ります。この広大な用地には、メガソーラーが建設されると、つい先日、報道されていました。今度ここを走る頃には、きっと違った景色が見られるのではと思います。 | |
臨海産業道路がおしまいになって、海岸線に沿った細い道になりました。国道197号線、海の国道として有名です。この先、佐賀関からフェリーで四国へと国道197号線は繋がっています。 目の前の海は蒼くかすかに四国が見えます。 |
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道の駅「さがのせき」で休憩です。海の側に建つ小さな道の駅です。すぐ裏の海へ降りてみます。階段の上にはアロエが珍しい花をつけていました。 | |
今日の陽気に誘われて、たくさんの家族連れが海に降りていました。白い波が打ち寄せる、美しい海岸です。 | |
ふと、津波が来たら、と思ってしまいましたが・・・ 先日までの寒さはウソのような今日の暖かさ、立春ももう目の前です。 |
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磯の香りが何とも言えない気持ちよさです。 | |
群青色というのでしょうか、黒い岩にあたって真っ白の波を作る、こんな日本画を見たことがある、と思いました。 | |
これは岩でしょうか?木でしょうか?不思議な岩?がありました。地表に出てきた珪化木とも言いたい感じです。縦に刻まれた皺は木の表面のようですし、弾くとボロボロと崩れます。かと思うと、白い岩のようなものも、間にはあって、不思議な感じです。 | |
海岸から上がって、道の駅へ入ってみました。いろいろ 海産物のおみやげを売っています。食堂にもなっています。お昼ご飯を食べて出てきたので、そんなにお腹は減ってないのですが、今のこの時期のここの名物、「クロメ汁」を飲みました。本当においしいです。磯の香りと独特のぬめり、体も温まります。気がついたら、たくさん飲んだ後の写真になりました。クロメそのものも、おいしく頂きました。 | |
佐賀関の街へ入りました。佐賀関には高い煙突があるので有名でした。その一本が老朽化して取り壊されるとニュースで言ってました。大きなクレーンが動き、取り壊されて短くなった煙突が見えています。 | |
佐賀関半島をぐるりと回って、臼杵へ向います。午後の太陽が海面を照らしてキラキラしています。穏やかな海です。潮風を受けて、車を走らせます。 | |
臼杵の街へ入ってきました。有名な龍源寺の三重の塔と、黒い瓦屋根が特徴の臼杵です。 | |
文久元年(1861年)創立のフンドーキン醤油の工場です。我が家もここのお味噌が定番です。 | |
阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘を削り取って道を通した二王座です、江戸時際には稲葉家の上級武士の家が多くあったとか、お寺も多く、独特の風景が、「歴史の道」として人々を魅了します。 平成5年11月には国の都市景観100選にも選ばれています。 |
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街灯も、本当に情緒がありますね。 | |
下を見ると、マンホールのふたも、面白いです。臼杵名物ふぐの絵に、観光案内道案内になっています。 | |
石垣の上のお屋敷には紅梅がもうこんなに咲いていました。 | |
お寺の多い二王座です。入ってみました。明日は節分、大祈祷会があるとか。大きな樽に水を張り、結界を作って明日の水行の準備でしょうか? | |
立春の前日、節分祈祷会、先ずは水行、大祈祷会、福引、豆まき、と行われるようです。何だか明日もまた来たい臼杵ですね。 | |
二王座から、新しい臼杵の憩いの場「サーラ・デ・うすき」の面白い壁を見ながら、帰りました。 臼杵はキリシタン大名大友宗麟が臼杵城を建て宣教師や南蛮文化を庇護したことからポルトガルなどとの交流が多くあったのですね、そして「臼杵の居間」という意味の「サーラ・デ・うすき」が出来ました。 |
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今日は急に思い立っての春待つドライブとなりましたが、美しい海、穏やかな海を見ることが出来てうれしいドライブとなりました。美しい自然、興味深い歴史、素敵な場所、おいしい食べ物、などなど魅力一杯な大分県だと改めて思いました。 |