2011年9月27-29日:九州部会で飯塚にそして、嘉穂劇場
 
友の会の九州部会が飯塚であります。私は鰯雲を見ながら、JRに乗って、折尾駅へ、ここで乗換えです。
駅舎は東京駅をほうふつさせる由緒アル建物。
炭鉱華やかなりし頃、筑豊炭鉱地帯で採れた石炭が、列車につまれて、折尾駅に集まり、日本各地へ運ばれ、日本の産業を復興を支えたのでした。
折尾から「福北ゆたか線」に乗り換えて、新飯塚で下車。徒歩数分のホテルへ向かいました。

ここで、ランチを食べました。お値段の割りに、お料理が立派なので驚きます。
それから夕方の部会打ち合わせまで、飯塚の町を探検です。遠賀川の橋を渡って飯塚へ行きます。川の向こうに見えるのはボタ山です。この辺りには炭住があり、ボタ山もあちこちにありましたが今はこれだけ残してあるそうです。 
こんな石柱の立つ商店街を歩きました。石炭が黒ダイヤと呼ばれ、日本の工業を支えていた時代、ここは大変栄えた町でした。その名残のお店がたくさん並んでいます。 
小倉師団にいた軍医の森鴎外も、ここに来たそうです。記念の文学碑が建っています。飯塚に来た時のことを「小倉日記」に記しています。
おいしそうな魚の並んだ魚屋さんが何軒かありました。その中でも珍しかったのがこのくじらのお店です。「塩くじら」と書いてありました。
本当に珍しいですね、と話していたら、珍しいから、今、テレビの録画をしていますよ、お店の中で、女性がいろいろ質問をしてテレビカメラが廻っていました。
邪魔をしないようにソッと出てきました。次に行ったのは、和菓子のお店「千鳥屋」です。なまこ塀の大きな造りです。
福岡の有名な御菓子屋さんの「千鳥屋」です。天正十八年(1590)佐賀で武家の内職として酒饅頭などの菓子を作り始めたのが和菓子屋の始まりとか。正式の創業は1630年(寛永7年)
飯塚は炭鉱出『働く人たちに甘いお菓子が喜ばれ、故郷へのおみやげに盛んに用いられたそうです。筑豊地方にはおいしい和菓子の老舗が多いです。

そして、立派な建物も今も健在です。ここは医院として今も活用されている建物です。
次にやってきたのは、嘉穂劇場です。昔、ここ炭鉱地帯には、このような芝居小屋が50もあったそうですが、現存するのはこの「嘉穂劇場」唯一つです。
見学をしました。見事な升席が並んでいます。柱を無くしてどこからでも舞台が見渡せる工夫がされています。収容人数は1200名だとか。
舞台に上がりました。舞台の袖に新聞紙が張ってあります、古い新聞紙には出演俳優のサインが書かれています。これは「柳家 金語楼師匠」です。そのお顔の下の汚れた横筋は、2003年7月19日の水害で舞台は1.5m桟敷は2mの浸水があった、その証拠に残されているのだとか。
嘉穂劇場の惨状を知った人たちのお陰で、翌年の9月には、復活することが出来たそうです。
また、舞台の奥には小道具部屋があり、壁には演じた俳優さんの写真がありました。知ったお顔もあります。右は 劇場の女主人伊藤英子さんと、加東 大介さん、左は永六輔さん、その下は、中村錦之助さん、懐かしいお顔です。
二階から桟敷、花道、舞台を見下ろします。一度お芝居を見に来たいですね。舞台には廻り舞台があり、地下へ降りると人力で動かすレールがありました。
昭和6年に建設されたもの。
9月29日、部会二日目の昼食です。部会会場の公民館で参加者揃って頂きました。とてもおいしくて、きれいに頂きました。お茶菓子は「千鳥屋」の千鳥饅頭です。
飯塚友の会の皆さん、お世話になりました。