2010年12月28日:年末年始の旅・・・・梼原から高知へ |
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梼原の朝は、よく冷えてました~~
朝食は、1階のマルシェで、おいしく和食を食べました。 |
ホテルの建物は、とてもユニークです。木をふんだんに使っています。それでいて、とてもモダン。 |
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ホテルの部屋を出て、廊下から1階のマルシェを見下ろしています。左のテーブル席が、朝食を頂いた所です。 |
ホテルでもお正月の準備、門松が据えられています。 |
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そして、残り少ない時間を有効に・・・・
梼原探検第二段です!まずは、ゆすはら座、昔ながらの芝居小屋です。芝居小屋があるなんて知らなかったのですが、先ず、目に付いたのが、マンホールのふたの絵柄でした。何だろうと思ったら、芝居小屋でした。古いのかと思ったら案外そうでもなくて昭和23年の建築、和洋折衷で天井が美しいです、花道があり、でも廻り舞台は無かったです・・・花道をだれかがよろよろと・・・・見得を切ってます!今も時々は、イベントで使われているみたいです。 |
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少し高台に掛橋和泉の家がありました。庭には、梼原町の名前の元になった、ゆすの木が植えられていました。この木の多い土地だったそうです。 |
龍馬展の会場で見たのと同じ、囲炉裏を切ったお部屋がありました。
養子だった和泉は、姑から脱藩浪人へ援助していることを問い詰められ、どちらにも義理を立てる必要から、拳銃自殺をしたという、辛い選択でした。
ここに座っていると、奥から龍馬たちの若い声が聞こえてきそうでした。 |
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町の周辺には、細い道が残されていて、「龍馬脱藩の道」と書かれています。矢印に沿って、歩いて行きました。やがて梼原高校に出ました。
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更に進みメインストリートを横切って、山のほうへと入っていきます。先ず、屋根のついた神幸橋を渡ると三嶋神社です。 |
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お正月を前に境内を美しく掃き清めていました。二人で記念写真です。もう初詣の気分です。
ここからドンドンと脱藩の道を歩きましたが、なかなか町自体を抜けることが出来ません。疲れてきて諦めて戻ることにしました。もろくも脱藩は30分程で脱落です。 |
脱藩を成し遂げ、国の礎を築き、志半ばで果てた若者たちのお墓に行ってなかったと気づき、またゆすはら座に戻ってお墓を探しました。
少し歩くと、茶堂が建っていました。小さなお堂で、仏様が祭られていて、旅人を茶菓でもてなしたり、情報交換をしたり、社交の場だったとか、今も残る幾つかは現実に使われているそうです。(写真にマウスを当ててみてください) |
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そういうお接待の心が、龍馬たち脱藩浪人をも温かくもてなすことになったのかなと思います。
しかし、その傍には、6浪士の墓が並んでいました。亡くなった年を見ると、34才、26才 27才 22才、25才そして、34才の父親で57才、本当に皆、若くして非業の死を遂げています。 |
2010年は大河ドラマで龍馬を取り上げていたので、国を挙げてのブームになっています。一度も見たことの無い私たちがこんなに龍馬の足跡を辿ることになるとはちょっと意外です。
龍馬の脱藩の道を反対に、高知市の中心地にまでやってきました。国道197号線の終点です。 |
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高知で友の会のお友達の家に寄り、いよいよ姉の家を目指して太平洋に沿って、西へ走ります。
モノレールが走るはずだった高架をくろしお鉄道が走っています。 |
久しぶりの姉の家に無事に到着しました。義兄も姉も、元気に出迎えてくれました。久しぶりだのに、迷わずに来たねと義兄はとても喜んでくれました。 |
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二人に是非、高知の味を食べて欲しいから、皿鉢料理にしましたよ、と、見事な大皿に盛り上がったご馳走に歓声を挙げました。4人で乾杯!この家が新しく建った時以来の夫の訪問を本当に喜んで頂きました。 |
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続く |