2010年11月24日:久し振りの臼杵石仏拝観 |
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小春日和の良い天気、今日もまた大分探検、車は宮河内で高速をおりて、佐賀関へ向います。青い海が見えてきました。 | |
佐賀関国道フェリー乗り場に来ました。丁度、四国へ行く船が出港間近でした。船員さんが親切に、乗りますか?と聞いてくれました。今は乗りません、近いうちに乗りたいと思ってます。 | |
フェリーを見送ってから海岸沿いに臼杵へ向けて走ります。 | |
随分とこちらに来たことが無かったので、新しい道路がたくさん整備されていてびっくりしました。 臼杵へ着きました。臼杵といえば、やっぱり「臼杵石仏」です。何年ぶりに来たでしょうか?美しく整備され平成7年に臼杵磨崖仏四群五十九体が国宝に指定されました。 |
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穏やかな天気の下、大勢の観光客と一緒に、磨崖仏巡りをします。目の前は臼杵石仏公園と深田の里、
中央奥は満月寺(まんがつじ) |
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入り口を入り先ず見えてくるのが、「ホキ石仏第二群」です。ホキというのは、「岸嶮(がけ)」という意味の地名だとか。 「九品(くぼん)の弥陀」真ん中に座った阿弥陀如来像その左右を併せて九体の像が刻まれています。中央は彩色も残っていますが、他は損傷が激しいです。これも歴史でしょうか。平安末期頃の作と言われています。 |
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続いて「ホキ石仏第一群」平安時代から鎌倉期に至るまでの磨崖仏が4つの龕に20数体並び、まさに壮観です。 | |
これらの石仏は何時頃、何故彫られたのか、史料は一切残っていないそうです。造像の経緯は民話・伝承など、諸説あるようですが、臼杵市観光協会は民話「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」による、長者が亡くなった娘の菩提を弔うために彫らせたという説に基づいて観光アピールを行っています。 「ホキ石仏第一群第一龕(がん)」です。龕(がん)とは石窟や家屋の壁面に、仏像・仏具を納めるために設けたくぼみのこと。 |
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山岳仏教の衰退と共に忘れ去られてしまった磨崖仏は1,000年の間、風雨に曝されていた。保存修理工事によって今はお堂を被せたような覆堂で保護されるようになりました。 この素晴らしい仏さまはいつまでも居続けて欲しいと思いますが、崩れていくのもまた歴史かと思います。 覆堂(ふくどう、おおいどう)とは、貴重な文化財、史跡等を風雨から保護するために、それらを覆うように建設された簡易な建築物のこと |
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元々阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、また参拝者によって自然にできた道が大雨の時には川に変わり石仏を削り取った。多くの石仏の下半身が切り取られたように無くなっているのはそのためだとか。 かわいい童子のような如来様が中央に座られた「山王山石仏」。 |
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このような環境の中で仏頭の多くが落ちてしまいました。 上の写真は、保存修理以前の「古園石仏」の様子です。 |
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今は、このように、元の姿に戻されました。しかし、修理にあたっては、元の姿に戻すという意見と、台座の上に置かれた姿のままに、という意見とがぶつり論争がおきました。 | |
私たちが、夫の転勤で大分に来てすぐに訪れた時は、このような感じでした。この姿が忘れられず、私は、このままが良いなと思ったものでした。昔の姿は石仏前に掲示してあった写真を写しました。 | |
間近で見る修復された大日如来像は、お顔が小さく感じられました。きっと、台座に置かれたお顔を間近で見ていたせいでしょう。 |
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切れ長の目、引き締まった口元、端正で貴品溢れるお顔です。 | |
古園石仏の側の大銀杏が黄金色になっていました。 | |
大銀杏の下を通って、石仏公園へ向います。崖はつわぶきの群落が黄色い花をつけていました。 | |
振り返ると、大銀杏の向こうに古園石仏の納められたお堂が見えます。 | |
石仏を作ったという真名の長者が招いた中国の蓮城法師により創建されたという満月寺と仁王像 |
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国指定特別史跡のこの二つの仁王像は、凝灰岩で造られています、何故か膝から下が地中に埋もれているので全体像が判りません。阿形、吽形の両方が、鼻が欠けています、これは病気快復信仰のために参拝客に削られたらしいと言われています。それがまたこの仁王像をユニークな愛嬌あるものにしていると思います。 | |
この像は、鎌倉後期以降室町時代前期頃に作られたものと思われる。今から40年ほど前、大分に転勤してきてすぐに来た時にこの仁王像を見て、とてもユーモラスで気に入ってしまった。久し振りにまたこの仁王さんに会えて、懐かしく、とてもうれしい私たちでした。 | |
面白い物を発見しました。マンホールのふたです。模様は、臼杵名産のカボスです。始めて見ました。面白い図柄です。 | |
満月寺の境内にある大きな宝篋印塔、鎌倉中期の作です。端正な姿が美しいです。 たくさんの磨崖仏がどうしてここにあるのか、誰が造らせたのか、伝えられている真名の長者伝説も、時代が合わないそうです。でも、確かに誰かが、この地で仏さまを岩に彫りつけたのです。信仰心から?何かの供養のために?それを見る1000年後の私たちは石に彫られた仏さまを見て1000年の昔に思いを馳せる。静かな良い時間が持てました。 |
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帰りは、最新の今の世界の恩恵を受けます。高速道路から2002年ワールドカップサッカー大会に歓声が上がったドームを見ながら帰途につきました。 | |
遠く由布岳、鶴見岳、高崎山が霞んでいます。穏やかな秋の一日の臼杵散策でした。 |