2005年2月20日:≪ストロベリーフィールド≫ by Mie
Naoさんの「冬のソナタ」からの創作に魅せられて
Naoさんの「冬のソナタ」Sidestory「ポラリスを追いかけて」を本当に楽しみに読んでます。

そして、「セントラルパークから」の中で、チュンサンがいつも座るベンチが気になって、それを見つけたくて、先日、NYに行ってきました。そしてなんと、勝手に「チュンサンのベンチ」を決めてしまいました。その夜、NYのホテルでは何故か眠れず、シンシンと雪が高層ビルの谷間に降るのを窓から眺めながらセントラルパークのベンチに座っているチュンサンを思い描いていました。すると、Naoさんに触発されたというか、Naoさんの真似をして何か書いてみたくなりました。窓からの雪明かりを頼りに手帳に書き連ねたメモ、本当にお粗末ではありますが、読んでくださると幸せです。

チュンサンのアパートは、6年前に私が実際に滞在した65stのアパートをイメージしています。それでは、勇気を出して、アップします。ね。

≪ストロベリーフィールド≫

72stを歩いてセントラルパークWestに差し掛かると、車の往来の激しい交差点にきたことがわかる。
道路にタイヤのすれる連続音が止んだとき、信号は青、チュンサンは迷うことなく、セントラルパークの入り口に足を運ぶ。
舗装道路を歩き終わり、注意深く土の道に歩を進めるとき”指定席”が近いことがわかり、心が穏やかになるチュンサンだった。

そうそうその時、ひとつ気をつけなくてはいけないことがある、道の端を歩きすぎた時、必ずコツンと頭をぶつける何かがある。何か?はじめは分らなかった。サラと知り合い、サラに教えられて分った。そう、それはかわいい木の案内板、ストロベリーフィールドと書いてあるんだって、それが、立ってるんだって、そう言いながら、サラは笑う。殆どの人は見上げる看板でそれにぶつかるなんて、、、ということらしい。
それでもまた、僕はうっかりとしてぶつかってしまう。でも、そこから20歩も歩けば僕の”指定席”

遊歩道の両側に並んだベンチの中の一つが僕の”指定席”その先にイマジンフィールドがある。

イマジンフィールドを囲むように、そこにもずらりとベンチが並んでいる。多くの人々が、平和を愛したジョン・レノンを偲ぶために、平和を祈るためにここに来る。僕もまだかすかに物の色が分るとき、イマジンフィールドの前に立った。
黒や白の石の張られたイマジンフィールドは、僕には淡い灰色にしか見えなかったがそこに置かれた何本かの赤いバラの花は今も僕の目の奥に焼き付いている。
僕の歩いてくる72stの信号の手前に建つダコタ・ハウスの住人だったジョン・レノンの記念碑だ。僕が生まれた頃に凶弾に倒れたという平和を愛し歌い続けたジョン・レノンの魂が今も人々の足を運ばせ、心をとどめる。次々に訪れる人のじゃまをしたくない、少し離れた所が僕の”指定席”なんだ。

ある時、フリスビーが飛んできて、僕の手にした”ユジンからの手紙”を地面に落とした。同時に「危ない・・・よけて!」と女の子の声が飛んできた。こうして僕とサラは出会い、時々このベンチで会うことになったんだ。
サラはさりげなく、僕の手を取り、ストロベリーフィールドを通り抜けて、レイクの方へと導いてくれた。帰りは何段かの石段を登り、72stへの連絡道路に直接出る、ここまで来ると僕はもう一人で帰ることが出来る。まだ友達と遊びたいサラと別れてアパートへと戻る。
アパートの前ではいつも、「お帰りですか?」とコンシェルジェが声をかけて迎えてくれる。彼の太いバスを聞くと緊張から解放され、ああ、帰ってこれたと思う。コンシェルジェが押してくれる重いドアを抜けてロビーのふかふかとした絨毯を踏む頃、もう僕は一人の世界に入っている。

エレベーターをおり、16階の部屋のブザーを押すと、ソン夫人がコーヒーの香りと共に迎えてくれる。「ミニョンさん、お帰りなさい、手を洗ってうがいをして、、、」ああ、また僕のことを子ども扱いして、、でも、この時ばかりはなぜかうれしくて、ソン夫人をたしなめることもしないで、言われたとおり、洗面所へ。
出てきたときには、ソン夫人が僕のお気に入りのカップにコーヒーを淹れてくれている。「どちらでお飲みになりますか?」僕はコーヒーを受け取って、テラスに出て籐の椅子に座る。
暖かくなった今の季節は、このテラスが一番のお気に入り、下から車の音、人々の出す生活の音が上ってくる、そして、空からは小鳥たちのさえずる声、さまざまな音に囲まれて、時折木々のざわめきを耳に留める時、ああ、生きている、と実感する。

目が当たり前に見えていた時は、形で色で物を覚えていた、覚えていただなんて、意識することもなく、物は向こうから勝手に入り込んできた。しかし、光の感じのみが判別出来る程度になった今、物は匂いや香りで覚えるようになった。
このテラスに座るとどこからともなく、心地よい香りが漂ってくる。この香り、確か以前にも、覚えている、どこで?どこだ?
そうだ、ユジンのソウルのアパートの前だ。ユジンのアパートの前には大きな木が何本か立っていた。

そう、それは、僕の思いを告げたくて、思い切ってユジンのアパートの前まで来た時のことだ。そこにはサンヒョクの車があった、中でユジンとサンヒョクが話していた。僕は思わず、そばの大きな木に身を寄せた。
僕は切ない思いで一杯だった。胸から大きく吐いた息が出たのと入れ替わりに、スッと入り込んできた香り。これがあの大木の香りだったんだ。今、NYの僕のアパートのテラスで飲んでいるコーヒーの香りよりもはっきりと漂ってくる香り、忘れることの出来ないその香り、その時の僕の気持ちも香りと共に蘇ってきた。
光を失いかけた僕は光を当たり前に感じていた頃よりもより多くのものを捉えることが出来るようになっていた。本当に不思議なことだった。
以前は”目の前にある物”を見ていた、しかし、光を失いかけた”今”は、目の前にある物も、後ろにある物も、今、現実に無い物も、見えるのだ。
見えるという表現が今の僕におかしいというのなら、それを”感じ取れる”と言い直しても良い。その”感じ”は嫌ではない。

ユジンの顔はいつも僕の心に留まっているのだから。 

最後まで読んでくださってありがとうございました。是非Naoさんの創作をお読みになって下さい。