大分大学公開講座「来て見て作ってマルチメデイア」大分大学付属中学校にて
   2000年6月10日
永野美恵子
世界に広がるホームページ

めまして、私は富士見が丘の永野といいます。よろしくお願い致します。今日は「来て見て作ってマルチメデイア」という連続講習の第一回目、貴重なお時間を頂いて、『世界に広がるホームページ』ということでお話をさせて頂きます。

我が家は、会社を退職して3年目の夫と、私の二人家族です。私たちはホームページを持って5年と1ヶ月になりました。我が家のホームページは私達夫婦の普段着の生活を載せていますが、そのことで私達の世界がいろいろ広がってきているそんなことをお話しようと思いますが、皆様のお役に立ちますかよろしくお願い致します。

私達の一人息子は、中学からずっと東京で暮らしています、今は結婚をしています。普通、男の子が家にいると、いろいろゲームなどをするようになっていつのまにか、子どもに教えられる形で、キーボードに触れていたりということがあるそうですが、そんな訳でそういうおもちゃが一切、我が家にはありませんでした。

夫は会社でワープロやパソコンを使っていたようですが、私は、お店に並んでいるのを見ても触ると壊れるのでは?と触れない人間でした。

でも、世の中、住所録や年賀状をワープロで、という謳い文句で宣伝されるようになり、また、私自身も私の入っています友の会で原稿を書くことも増え、ワープロという便利なものがあるならあんまり乗り遅れるのも嫌だな使ってみたいと思うようになりました。そうしたら通信も出来ますよ、という夫の友人の薦めもあり、ワープロを購入そしてコアラに入会しました。今から10年ほど前のことです。

やがて、94年、大学や国の研究機関のみで使われていたインターネットが民間にも解放されるようになりました。大分のコアラはいち早くそのことに着目して、IDを発行し始めました。私もすぐに申し込みました。しかしインターネットをするにはパソコンが必要とのことで95年に我が家にもパソコンが入りました。そして夫と相談しながらホームページを作ることになりました。

何を発信したいのか、その内容が大事よね。インターネットっていうのは、世界中を結んでいるものだよね。英語も必要だよね、英訳は僕がするからね。と主人。ホームページを作るからには、たくさんの人に見てもらいたい、そして何度も見てもらいたいね、そのためには次々と更新していかなくっちゃ。ホームページを見たよってメールくれた人へはすぐに返事を書きましょう。

この4つが大事だということになりました。そして次に何を発信するか、ということを考えました。

日本の大分に住む主婦が発信するっていうことにどんな意味があるんだろうってことを二人で考えました。
私たちの日常の暮し、何を大切に暮らしているか、そのことを発信しようということになりました。
私は絵を描くことが好きでした。パソコンでも絵が描ける、マウスを使って絵を描いてみよう、日本には四季があり、大分は自然がいっぱいある、その自然を知らせよう、編集会議はすぐに終わりました。

しかし、最初はたった1ページのHPでした。自然一杯の大分から世界へ!そんな思いで我が家の庭に咲いている花を紹介しました。
技術的なこともあんまり分からなくて、本と首っ引きで作りました。その当時はホームページを作るためのソフトなんてありませんでした。ホームページを作るための約束事のハイパーテキストというものがありますが、それを一文字一文字自分の指で打って書いて行きました。

今もHPを作る基本は同じ事ですが、今はソフトを使うと自動的に書き込んでくれるんですね。だから随分と楽になりました。でも、手書きで作っていた時は、本当に作った!ということが実感として味わえた、そんな気がしています。
初めてホームページをインターネット上にアップしたのは、95年の5月のことでした。

作るのは私、英訳するのは夫、と役割分担、それは今も続いています。お陰で、お互いがどういうことに何を感じているか、ということを分かり合えていいなと思っています。しかし、私の英語力は中学1年生止まりから進歩がなく悲しいですが。

ンターネットでホームページを発信するようになって、まる5年が経ちました。最初は1ページのホームページ、それがいつのまにか、貯まっていって、もうどの位の大きさになっているのか自分でも把握出来ていない、膨大なホームページになっています。

インターネット愛好者の裾野が広がってきて、それに合わせて、便利なものへ、使い勝手の良いものへとだんだん世の中の技術が進歩してきて、高価だと言われていた道具がそれに反比例する形で安くなり、私達にも気軽に使えるようになってきています。
ホームページを作るソフトや絵を描くソフトも次々と便利なものが開発されてきています。私のパソコンの中にも、ホームページを作るためのソフトが3-4種、絵を描くソフトがやはり3-4種、写真の加工ソフトが2種、英語の単語を探したりする辞書も入っていますし、本当に便利になったと思います。

またインターネットの接続も規制が多いと言われている日本でも少しずつ、高速で安く出来るようになりました。我が家は、最初は9800ボーのモデムを電話回線につないでいましたが、今はケーブル経由で24時間常時接続、机の下にサーバーとなるパソコンを置き、そこから私のパソコンと、夫のパソコン、それにノートパソコンとつないでどのパソコンからもいつでもインターネットが出来るようになっています。
そんな環境が年金生活の我が家でも可能になったことは、とてもうれしいことです。

しかし、私達だけでこれが出来ているのではない、多くの友達の助けがあることがまたインターネットをしていて、ありがたいと感じることです。

最初私達は、パソコン通信からはじめました。それは文字だけの世界です。でも、その文字による文章のやりとりで、随分、文章を書く訓練ができたと思います。それがホームページを作る上でも、簡潔にそしてわかり易く、思うことを伝えるということに役立っています。しかし、英訳をする夫から言わせると、まだまだ日本語がなってない、英訳の前に日本文を直したくなる、と言われることも多いのですが。

でも、そういう文字のやりとりを通じてたくさんの友達ができました。困ったことがあるとパソコン通信で、困っている、分からないと書きました。そうしたら、親切に教えてくれる人がいる、でも文字で書いてはなおわかりにくい、そうしたら、家にまで来てくれる、そしていろいろ教えて下さる。そんなネットワークが自然に出来ていきました。
そのネットワークは今も健在で、いろいろな場面で助け合ったり、楽しい集まりをしたり、イベントを立ち上げたりと私達の大切な友達になっています。

その友達のネットワークは、その中だけに留まらず、コアラ事務局と連動して、いろいろなイベントの中でも力を発揮してきました。パソコンの世界、インターネットの世界で有名な方々が大分に集う、別府湾会議というのが、2年に1度位開かれていますが、そのお手伝いをしたり、ユーザーとして会議に出席して、パソコンの使い勝手、回線の高速化、そして安くしてほしいということを訴えてきたり、パソコンを通じて、というかインターネットで、たくさんのネットワークが出来ているということを報告したり、してきました。

また、もっともっとインターネットを楽しむ女性を増やしたい、どうしてもまだ男性中心のインターネットだということで、「女性のためのインターネット講習会」を事務局の方と何回か企画して開いてきました。毎回、たくさんの女性の方が集まって下さって、ホームページの作り方、メールの楽しみ方、などお話をして一緒に勉強をしてきました。

大分市の工業展の会場の中に、インターネット体験コーナーを出したり、大分市民夏祭りの時には、ライブ放送をしたりしてインターネットの楽しさを広めたいと皆で頑張りました。

今は、本当にインターネットのメールが活発に交わされるようになり、メーリングリストも盛んになってきています。パソコン通信に代わって、そのメーリングリストでいろいろな情報交換、またイベントの相談なども出来てきています。MLというのは、テーマを決めて情報をメールで交換しあう、メンバー限定の仕組みです。

私が加入しているMLは数えてみたら8つありました。その中で食べることに関したMLでFOODというMLの管理人というか世話人をしています。これは単なるメールだけではなく、画像も貼り付けることが出来るWEB型MLという新しい形式です。
こんなおいしいものを食べました、などと、レストランのお食事を写真に写してメールに添付する、またホームページ形式のメールを送ることも出来ると言うMLです。その管理人として、メンバーの登録業務や話題作りなどをしています。

そんなML管理者だけの集まるMLもあって時々は会議も開いて共通の問題点などを相談したりしています。

んな感じで毎日、メールもたくさんきますし、また返事もたくさん書きます。しかし、そんな中で一番うれしいメールが、「貴方のホームページを見ました。とっても素適です」と書いてきて下さるメールです。

そんなメールに励まされて、私のホームページ作りが今までも続いているのだと思います。
それでは少し、我が家のホームページの内容を紹介しようと思います。

私のホームページの構成は、まずインデックスのページがあります。そこには我が家のホームページの大きな柱の4つが書いてあります。
まずは、メインの我が家のホームページ、次に、この4月に行ってきたオーストラリア旅行の記録のページ、2年前に行ったアメリカ旅行の記録のページ。それとこの6月に新しく加わったのが、私の加入しています主婦のグループ友の会のページです。

そしてそれらは全て同じ内容の英語版を作っています。

まず、我が家のホームページに入りますと、私の描いた今月の由布岳の絵が大きく出てきます。そしてその下にいろいろなことを項目別に集めて載せています。毎月更新しているホームページですが、それ以外にも何か出来事があるたびに、お知らせしたいことがある度にホームページにアップしていきます。

最近、アップしたものでは、先月の20日に別府であった 立命館アジア太平洋大学(APU)開学祭に行った時の様子を載せています。
その時の楽しい出会いについて少しお話をしましょう。

3月の始めにハワイからメールが届きました。「別府に行きます、それで別府のことを調べようとあっちこっちネットサーフインをしていたら、貴方のHPを見つけました。随想のページに書いてあった、「平和について考える」というページを読んで感動しました」という嬉しいメールでした。それからいろいろやり取りがあって、APUの開学祭の時に、ハワイからフラダンスのチームを引き連れて行きます、時間が合えば、別府で会いましょうということになりました。

熊本出身の日系3世の方でハワイでは、ご主人の法律事務所の手伝いをしながら、ホームステイーの受け入れや、コーデュネーターの仕事をしている私と同年輩の方でした。

泊まる旅館も知らせてきました、インターネットで別府のお宿を調べて見るとちゃんと載っていました。鉄輪の和風旅館です。メールを書いてみると、部屋はあるとのこと、それではついでだからと私達も泊まることにしました。

そして当日を迎えました。あちらはオフシャルで来ているので、じゃまにならないように、お話が少し出来るといいと思っていましたら、大学と、地元の方が共同で開く歓迎デイナーに一緒に参加して下さいということになりました。フラダンスのチームの皆さんは浴衣でフラダンスを踊って下さったり、私達にも教えてくれたり、楽しい交流が出来ました。そして別府公園での開学祭には、一緒に出かけてフラダンスのステージを応援しました。

そんな様子をHPにしてアップしたことで、ハワイに帰った彼女は大変喜んでくれて皆に知らせてまわっているというメールがきました。さらに、マウイ市長さんにも見せたらとても喜んでくれている、秋には市長さんを連れてまた別府へ行くのでまた会いましょう、と話はだんだん広がりを見せています。今度の私達の旅行はどうもハワイになりそうです。

つも定型で置いている項目はアイコンを作って並べていますがちょっと紹介しますと、まずは








それではその中から少しお話をします。

我が家の庭のページは、最初に1ページのホームページを作った時がこのページだったんです。大分の今を知ってもらいたくて、今の我が家の庭に咲いている花を載せました。次第に文字だけではなく、お花の絵を描いて載せるようになりました。

今は、グレイトーンで我が家の庭の絵を描いて、そこに咲いている花に色を塗って、クリッカブルマップにしてそこをクリックするとそのお花の絵に飛べるようにしました。
すると、それと同じ花が我が家にも咲いている、絵がいいですね、などと反響がきました。花の絵が貯まってきたので、それは、花の咲いている期間が分かるように花暦にしてみました。

そのことが発展して、今は、「花リレーのページ」という連携が出来ていて、日本全国600人くらいのお花好きの人のページがリレー形式で結ばれています。

私達はゆふいん音楽祭のお手伝いをしていますのでそのページも作っています。湯布院のことも書いているのですが、音楽祭の詳しいHPというのが他にはないので私のページが何時の間にか、音楽祭の公式ページ的になってしまって今では責任も感じています。

今年は第26回目のゆふいん音楽祭ですが、プログラムをアップするとすぐにチケットの申し込みのメールがきました。実は、毎年一番に申し込んで下さるのは、大分大学の先生なんですよ、でも今年はもっと早い方があって、先生には、今年は二番目でしたよとお返事を差し上げました。
音楽祭のページはお花のページの次に出来たページです。そして我が家のHPを見て最初にあった海外からの反響がその音楽祭のページを見てというメールだったので、とても大切なページになっています。

30年以上もNYで仕事をしている日本人の方でしたが、それ以来、メールのやり取りが続いています。最初に書いて下さったことは、ゆふいんの音楽祭素適なようですね。こちらでもセントラルパークで演奏が時々ありますよ、海外から初めて届いた反響です。ニューヨークからだ、と本当に感激したものです。そして、日本語の中に英語が混じっていると、こちらの人はとても読みにくいので別々にした方がいいですよ。

このメールがきっかけで、我が家のホームページが日本語版と英語版とに別れました。そして、英語の間違いや、表現もこちらの方がきっと言いたいことが伝わると思うとアドバイスをして下さってとてもあり難く、今もメール交換は続き、やがて行ったり来たり、と家族ぐるみのお付き合いが続いています。

また、宗教音楽のコーラス団に入っているというカリフォルニアの方からもメールがきました。是非ゆふいん音楽祭を聞きたい、それではいらっしゃい、ということで今から3年前の音楽祭にはとうとう来てしまいました。そして翌年は音楽祭のスタッフになって私達と一緒にゆふいんに泊り込んで、イスを並べたり、ビデオを取ったり、演奏家と話をしたり、働いたり楽しんでくれました。

今も、プログラムの英語版は専門用語が難しいので最終チェックは彼にしてもらってアップしています。カリフォルニア大学のアーバイン校の教授を引退して、筑波大学との交流など、日本との交流に力を出しているアメリカ人です。

また、我が家に4度も来て、私のことを日本のお母さんと言って、自分のホームページで紹介してしまった青年もいます。

こうして我が家のホームページを見ましたよ、ということから、いろいろな方が我が家に遊びにきます、そういう時、私達夫婦だけでお迎えするのではなく、いつも、大分のインターネットフレンド、パソコン通信時代からの友達にも声をかけて一緒に迎えていただくようにしています。コアラ事務局を訪問したり、歓迎のパーテイーを開いてもらったり、そうすることで、海外からの友人はまたたくさんの友達を作り、この大分を大変身近なそして慕わしい所としていつまでも覚えてくれます。

こうなることがとっても楽しくて、よく、インターネットだパソコンだというと部屋に閉じ篭って孤独になって、良くない、という声を聞きますが、私の場合は全くそんな言葉とは反対に人に会ったり、オフ会、オフラインミーテイングの略でオフ会と言ってます、そんな集まりに出かけることでも大忙しの状況になっています。

友の会のページというのは、私が結婚してからずっと関わっています、婦人之友の愛読者の集まりの友の会のことを載せているページです。友の会は今年創立70周年を迎えた歴史ある女性の団体で、私の母も今も現役の会員ですが、そんな風に団体を作っているとインターネットというものは本当に便利です。しかし友の会の会員の中でメールが使える人はまだ数人。相変わらず電話連絡やファックスが主流です。でもメールだとどんなに便利か、早く多くの人が使えるようになるといいなと思います。またHPには、お知らせしたいことを載せたり、記録として載せたり、こちらも便利です。

先月末に東京で全国会員の大会があって行ってきましたが、やはり主婦だけの集まりの友の会でも各地、HPが持てるようになって下さいとの話がありました。そこで、私の作っています友の会のHPを元にして公式版を作りました。HPエリアをどこに持つかお金の問題もあって困っていましたら、大分からの発信のページとしてホームページエリアを提供しましょうといううれしい申し出がコアラ事務局からあり、早速、この1日に大分友の会のHPをアップすることが出来ました。とてもうれしく感謝しています。分かりやすいページですね、などと早速、反響がありました。

友の会は全国に193あります。この友の会全てがHPを持ってリンクを貼り合ったら
素晴らしい主婦からの発信のページ、主婦パワーのページになると思います。是非、そうなって欲しいと私の周りでもHPの作れる人を増やしていかなくてはならないと思っています。

原稿集は、私のようなものでも、インターネットを楽しんでいる主婦としてお話をしてほしいと今日のようにお招きを受けることがあって、札幌や、諏訪、神戸、また大分の大学などにも行ってきました。そんな時お話したことを記録として載せています。

ルポ、お米の出来るまで、というのは、我が家のすぐ側の田んぼの様子を約1年間記録して載せました。私自身、現在のお米がどうやって出来ているのかよく知らなかったのでとても勉強になり楽しみながら作りました。お米の種はどこで買えますか?これは一度植えたら、毎年お米が出来ますか?一緒にこちらでお米を作りませんか?などと、外国からメールが来て面食らいました。しかし、皆さん、見てて下さるんだな、と本当にうれしくなります。

リンク集には、私のお気に入りのHPを載せています。その中の一つを紹介します。それは、私達のパソコン通信の友人で今はもう亡くなられた方の「原子爆弾による被爆の話」というHPです。

20歳の時に広島で被爆、その時の様子は長い間胸に秘めておられた、しかしもういいでしょう、という書き出しである時、パソコン通信に気持ちを書かれました。数年前その方は亡くなられましたが、私達の若い友人でその方の教え子の方がその言葉をHPに載せました。夫が協力を申し出て、英語版を作りました。私はトップページに原爆ドームの絵を描かせてもらいました。そのページが国内、国外、双方から大変な反響があり、そのメールはその都度、相手に許可を取り、夫は英訳、和訳をしてHPにアップしています。

そんな中で、韓国の馬山にある昌信大学の教授から英語の教科書に使わせてほしいというメールがきました。いろいろやり取りがあって、その教科書が出来た時、私達は若い友人と一緒にお祝いのためにその馬山の教授に会いに行きました。大学のチャペルで礼拝の後、そのいきさつを皆さんにお話をする時間をとって下さり、学長さん始め皆さんの歓迎を受けました。こんな所から草の根の平和運動が出来てとてもうれしく思ったことでした。

また、オーストラリアからも、本の中へ入れたいというメールが来て、その方には、この4月に会ってきました。素適な家に招待して下さって、執筆のための資料集めのご苦労話を伺ったり、また奥さんはボートピープルでオーストラリアに来たベトナムの方々がフランス語を忘れないためにと力を注いでいる方、こちらも平和のための運動といえます。こんな風にインターネットで素晴らしい人たちに会えて本当にうれしいです。

日の新聞にインターネットのことが出てこない日がないといっていいくらいですね。そしてインターネットはアメリカがとても進んでいるといいますね、どんな風なのか実際にこの目で確かめたくて、2年前、夫の退職記念の旅行にはアメリカへ行きました。その目的はまあ、昔夫の仕事の関係で2年間住んでいたシカゴを訪ねるということでしたが、他にもたくさん目的がありました。

インターネットで出来た友達を訪ねる、アメリカで普通の生活をする、そしてインターネットをする、ホームページを作ってアメリカからアップする、というたくさんの目標を持って出かけました。その時には、デジタルカメラ、デジタルビデオ、スチールカメラとノートPCと持って行き、あちこち行っては写真を写し、ビデオをまわし、そして夜はHPを作ってインターネットに載せる、という毎日を過ごしました。

その2ヶ月間のアメリカ旅行の準備には本当にたくさんの友達に助けてもらいました。飛行機のチケットのこと、持っていくパソコンのことなどは、パソコン通信の若い友達にとても親身になって面倒をみてもらいました。

アメリカで泊まるところは、メール友達にいろいろお世話になりました。また、メール友達に実際にいつどこで会うかなんていうことは、メールを使っての連絡がとても便利でした。ニューヨークのミュージカルのチケットなどもインターネットで簡単に購入することが出来ました。

そして出掛けたアメリカの2ヶ月間は、殆ど毎日のようにホームページを作ってアップしました。ワシントンの友達のアパートを貸してもらった時は、空き部屋で電話がついていなかったんですが、私達がインターネットをしたいといっていたので、わざわざ私達のために新しく電話を引いてくれていて感激をしました。デジタルビデオのフイルムは映し終える度に大分のコアラ事務局に郵送し、インターネット放送で使かってもらいました。

今は何処へ行くにもデジカメ持参です。ホームページで発信するようになっていろんなことに興味を持つようになりました。もともと好奇心は旺盛な方ですが、HPに書くとなると、いい加減なことは書けませんので、分からないことは、聞いたり調べたり、メモをとる習慣も身についてきています。

そんなことで、コアラ事務局からレポーターという肩書きもらってしまって、名刺に書き込み、そしてお金まで頂いていた時もありました。取材をしてきては、HPを作ったり、インターネット放送のパーソナリテイーとして出演をしたり、とっても楽しかったです。

でも、お金に変えられない体験などたくさん出来て何だか申し訳なくて今はお金を頂くことは辞退していますが、もう少し若かったらもっと貪欲にインターネットでビジネスなんか始められるのに、なんて思うこともありますが、まあ、楽しみで出来ているからいいのかなと思っています。

アメリカでたくさん写してきたビデオなど、いまだにインターネット放送に活用してもらっています。インターネット放送というのは、リアルプレイヤーというソフトを使ってインターネット上で見ることの出来るテレビのようなものです。

この特徴は、いつでも好きな時に見ることが出来るオンデマンド、ということが出来ること、そしてインターネットですから、世界中から見られるということがあります。海外のニュースなどテレビより早く見られるというのでとても好評な仕組みですね。

アメリカから帰ってきて、旅行の記録を夫と二人で長い時間をかけて楽しみながら作り上げました。時々、WEB上で見てはまたアメリカに行きたいなと話しています。

年は4月の一ヶ月間、オーストラリアへ旅行をしました、やはりパソコンなど一式を持って行きましたが、最初、数日はHPもアップ出来たのですが途中からどうしても接続がうまくいかず、インターネットが出来なくなりとても残念でした。でもホームページ作りは続けていました。

毎月、月末の真夜中には来月号をアップすると自分で決めてそうしてきていますが、少し遅れると、「まだ、変わっていないよ」とメルボルンからメールがきます。そしてしばらくすると、「昼の休みに見たら変わっていた」とメールがきます。そんな言葉もとってもうれしいんです。それでいつも月末の真夜中に更新をするようにしています。だから月末には旅行も出来ないんです、大晦日にもちゃんと新年号に更新しています。

オーストラリア旅行に出かける時も夜中に4月号を更新して、そして翌朝の1日に出発をしました。

オーストラリアでもたくさんのメール友達に会いました。メルボルンで3組の方に、アデレードでは二組の方に会いました。皆さんご家族で迎えて下さるので、実際にお会いした方々は、随分たくさんになります。

そんな中で一番古くからの友人は「まだHPが変わっていないよ」と言ってくる人でお菓子やお花の大好きなメルボルンの男性、ちょっとおもしろいでしょう?日本のまあ普通の常識からしたら、ちょっと違和感。でも、こんな風に、いろんな人がいるんだなってことを感じられるのもインターネットだからだと思っています。だからますます楽しいんですね。

私のお菓子のページを見て、僕はこんなお菓子を作ります、ってメールがきて、よく判らないと返事を書くと、とうとう手書きのレシピや写真が送られてきました。それで私は、手に入る材料でそれらしきお菓子を作って、それをまた、絵に描いてホームページに載せましたら大変喜んでくれました。

また彼はマラソンをしていて、別大マラソンのことを聞いてきました。そこで、別大マラソンの日は、毎年テレビとにらめっこ、夫が途中経過のタイムなどをメールで彼に書き続けます。

そんなこんなでとても親しくなって、いろいろ家庭の話しなども詳しく聞くようになり、親近感が沸きました。今回の旅行で彼の家を訪問することが一番の楽しみでした。彼は最初に送って来たレシピのお菓子を焼いて私達を迎えてくれました。本当にうれしかったです。

またメルボルンに行くとHPに書いていたのを見てメールをくれた若い女性には今、どんな服を着てますか?寒くなってますか?あちらは日本と逆で秋になる所でしたから、そんなことをメールで聞きながらオーストラリアへ持っていく服などを決めました。その人とはメルボルンのホテルで会いました。ご主人の仕事の関係で駐在している人で小さな女の子二人を連れて会いにきてくれました。

オーストラリアでは自宅に招待して下さった方々、野外のバーベキューパーテイーに連れて行って下さった家族、また、これからの老後は広いオーストラリアを気ままに夫婦でキャンピングカーで走るんだと家を売ってしまったご夫婦など、いろいろな人、いろいろな生き方にも触れることが出来て、インターネットをしていなかったら、HPを発信していなかったら、決して知ることの無かった、出会うことの無かった人々との出会いがあって、私たちも夫婦でインターネットを楽しんでいて本当に良かったなと思っています。

は、こんなに楽しいインターネット、そして便利なインターネットをもっともっと大分の人たちに便利に使ってもらいたい、そしてその中からこの大分がもっと楽しい所になり、そして大分に住んでいることが、とってもうれしいことと思えるようなそんなネットワークが作れないかなと、若い仲間達と相談している所です。実現するかどうか分かりませんが、でも、そんな話しをするのはとっても楽しいことです。

私のホームページは難しい技術は殆ど使っていません。出来るだけ、マウスで描いた絵を載せたいと思いながら、最近は少しさぼっているなと反省をしています。また誰に知らせたいのか、その相手を思いながら、絵や文章を書きます。そうすると、いろいろな方が喜んで下さいます。いつまでこのホームぺージ作りは続くのかなと思いますが、次々と楽しい人の輪が出来ていくのでやはり当分は作り続けるだろうなと思います。

私はパソコンに向かう時、いつもパソコンの向こうには人がいる、と思っています。
インターネットによる犯罪もいろいろと目に耳にするこの頃ですが、実社会と同じです。いつもパソコンに向かうときは、自分の責任で、細心の注意を払い賢い使い方を心がけていたらこれほど便利な楽しいものはないでしょう。

どうぞ皆さんもホームページ作りを覚えて下さって、楽しい仲間つくり、新しい自分の世界を発見して下さいませ。