それではその中から少しお話をします。
我が家の庭のページは、最初に1ページのホームページを作った時がこのページだったんです。大分の今を知ってもらいたくて、今の我が家の庭に咲いている花を載せました。次第に文字だけではなく、お花の絵を描いて載せるようになりました。
今は、グレイトーンで我が家の庭の絵を描いて、そこに咲いている花に色を塗って、クリッカブルマップにしてそこをクリックするとそのお花の絵に飛べるようにしました。
すると、それと同じ花が我が家にも咲いている、絵がいいですね、などと反響がきました。花の絵が貯まってきたので、それは、花の咲いている期間が分かるように花暦にしてみました。
そのことが発展して、今は、「花リレーのページ」という連携が出来ていて、日本全国600人くらいのお花好きの人のページがリレー形式で結ばれています。
私達はゆふいん音楽祭のお手伝いをしていますのでそのページも作っています。湯布院のことも書いているのですが、音楽祭の詳しいHPというのが他にはないので私のページが何時の間にか、音楽祭の公式ページ的になってしまって今では責任も感じています。
今年は第26回目のゆふいん音楽祭ですが、プログラムをアップするとすぐにチケットの申し込みのメールがきました。実は、毎年一番に申し込んで下さるのは、大分大学の先生なんですよ、でも今年はもっと早い方があって、先生には、今年は二番目でしたよとお返事を差し上げました。
音楽祭のページはお花のページの次に出来たページです。そして我が家のHPを見て最初にあった海外からの反響がその音楽祭のページを見てというメールだったので、とても大切なページになっています。
30年以上もNYで仕事をしている日本人の方でしたが、それ以来、メールのやり取りが続いています。最初に書いて下さったことは、ゆふいんの音楽祭素適なようですね。こちらでもセントラルパークで演奏が時々ありますよ、海外から初めて届いた反響です。ニューヨークからだ、と本当に感激したものです。そして、日本語の中に英語が混じっていると、こちらの人はとても読みにくいので別々にした方がいいですよ。
このメールがきっかけで、我が家のホームページが日本語版と英語版とに別れました。そして、英語の間違いや、表現もこちらの方がきっと言いたいことが伝わると思うとアドバイスをして下さってとてもあり難く、今もメール交換は続き、やがて行ったり来たり、と家族ぐるみのお付き合いが続いています。
また、宗教音楽のコーラス団に入っているというカリフォルニアの方からもメールがきました。是非ゆふいん音楽祭を聞きたい、それではいらっしゃい、ということで今から3年前の音楽祭にはとうとう来てしまいました。そして翌年は音楽祭のスタッフになって私達と一緒にゆふいんに泊り込んで、イスを並べたり、ビデオを取ったり、演奏家と話をしたり、働いたり楽しんでくれました。
今も、プログラムの英語版は専門用語が難しいので最終チェックは彼にしてもらってアップしています。カリフォルニア大学のアーバイン校の教授を引退して、筑波大学との交流など、日本との交流に力を出しているアメリカ人です。
また、我が家に4度も来て、私のことを日本のお母さんと言って、自分のホームページで紹介してしまった青年もいます。
こうして我が家のホームページを見ましたよ、ということから、いろいろな方が我が家に遊びにきます、そういう時、私達夫婦だけでお迎えするのではなく、いつも、大分のインターネットフレンド、パソコン通信時代からの友達にも声をかけて一緒に迎えていただくようにしています。コアラ事務局を訪問したり、歓迎のパーテイーを開いてもらったり、そうすることで、海外からの友人はまたたくさんの友達を作り、この大分を大変身近なそして慕わしい所としていつまでも覚えてくれます。
こうなることがとっても楽しくて、よく、インターネットだパソコンだというと部屋に閉じ篭って孤独になって、良くない、という声を聞きますが、私の場合は全くそんな言葉とは反対に人に会ったり、オフ会、オフラインミーテイングの略でオフ会と言ってます、そんな集まりに出かけることでも大忙しの状況になっています。
友の会のページというのは、私が結婚してからずっと関わっています、婦人之友の愛読者の集まりの友の会のことを載せているページです。友の会は今年創立70周年を迎えた歴史ある女性の団体で、私の母も今も現役の会員ですが、そんな風に団体を作っているとインターネットというものは本当に便利です。しかし友の会の会員の中でメールが使える人はまだ数人。相変わらず電話連絡やファックスが主流です。でもメールだとどんなに便利か、早く多くの人が使えるようになるといいなと思います。またHPには、お知らせしたいことを載せたり、記録として載せたり、こちらも便利です。
先月末に東京で全国会員の大会があって行ってきましたが、やはり主婦だけの集まりの友の会でも各地、HPが持てるようになって下さいとの話がありました。そこで、私の作っています友の会のHPを元にして公式版を作りました。HPエリアをどこに持つかお金の問題もあって困っていましたら、大分からの発信のページとしてホームページエリアを提供しましょうといううれしい申し出がコアラ事務局からあり、早速、この1日に大分友の会のHPをアップすることが出来ました。とてもうれしく感謝しています。分かりやすいページですね、などと早速、反響がありました。
友の会は全国に193あります。この友の会全てがHPを持ってリンクを貼り合ったら
素晴らしい主婦からの発信のページ、主婦パワーのページになると思います。是非、そうなって欲しいと私の周りでもHPの作れる人を増やしていかなくてはならないと思っています。
原稿集は、私のようなものでも、インターネットを楽しんでいる主婦としてお話をしてほしいと今日のようにお招きを受けることがあって、札幌や、諏訪、神戸、また大分の大学などにも行ってきました。そんな時お話したことを記録として載せています。
ルポ、お米の出来るまで、というのは、我が家のすぐ側の田んぼの様子を約1年間記録して載せました。私自身、現在のお米がどうやって出来ているのかよく知らなかったのでとても勉強になり楽しみながら作りました。お米の種はどこで買えますか?これは一度植えたら、毎年お米が出来ますか?一緒にこちらでお米を作りませんか?などと、外国からメールが来て面食らいました。しかし、皆さん、見てて下さるんだな、と本当にうれしくなります。
リンク集には、私のお気に入りのHPを載せています。その中の一つを紹介します。それは、私達のパソコン通信の友人で今はもう亡くなられた方の「原子爆弾による被爆の話」というHPです。
20歳の時に広島で被爆、その時の様子は長い間胸に秘めておられた、しかしもういいでしょう、という書き出しである時、パソコン通信に気持ちを書かれました。数年前その方は亡くなられましたが、私達の若い友人でその方の教え子の方がその言葉をHPに載せました。夫が協力を申し出て、英語版を作りました。私はトップページに原爆ドームの絵を描かせてもらいました。そのページが国内、国外、双方から大変な反響があり、そのメールはその都度、相手に許可を取り、夫は英訳、和訳をしてHPにアップしています。
そんな中で、韓国の馬山にある昌信大学の教授から英語の教科書に使わせてほしいというメールがきました。いろいろやり取りがあって、その教科書が出来た時、私達は若い友人と一緒にお祝いのためにその馬山の教授に会いに行きました。大学のチャペルで礼拝の後、そのいきさつを皆さんにお話をする時間をとって下さり、学長さん始め皆さんの歓迎を受けました。こんな所から草の根の平和運動が出来てとてもうれしく思ったことでした。
また、オーストラリアからも、本の中へ入れたいというメールが来て、その方には、この4月に会ってきました。素適な家に招待して下さって、執筆のための資料集めのご苦労話を伺ったり、また奥さんはボートピープルでオーストラリアに来たベトナムの方々がフランス語を忘れないためにと力を注いでいる方、こちらも平和のための運動といえます。こんな風にインターネットで素晴らしい人たちに会えて本当にうれしいです。
毎日の新聞にインターネットのことが出てこない日がないといっていいくらいですね。そしてインターネットはアメリカがとても進んでいるといいますね、どんな風なのか実際にこの目で確かめたくて、2年前、夫の退職記念の旅行にはアメリカへ行きました。その目的はまあ、昔夫の仕事の関係で2年間住んでいたシカゴを訪ねるということでしたが、他にもたくさん目的がありました。
インターネットで出来た友達を訪ねる、アメリカで普通の生活をする、そしてインターネットをする、ホームページを作ってアメリカからアップする、というたくさんの目標を持って出かけました。その時には、デジタルカメラ、デジタルビデオ、スチールカメラとノートPCと持って行き、あちこち行っては写真を写し、ビデオをまわし、そして夜はHPを作ってインターネットに載せる、という毎日を過ごしました。
その2ヶ月間のアメリカ旅行の準備には本当にたくさんの友達に助けてもらいました。飛行機のチケットのこと、持っていくパソコンのことなどは、パソコン通信の若い友達にとても親身になって面倒をみてもらいました。
アメリカで泊まるところは、メール友達にいろいろお世話になりました。また、メール友達に実際にいつどこで会うかなんていうことは、メールを使っての連絡がとても便利でした。ニューヨークのミュージカルのチケットなどもインターネットで簡単に購入することが出来ました。
そして出掛けたアメリカの2ヶ月間は、殆ど毎日のようにホームページを作ってアップしました。ワシントンの友達のアパートを貸してもらった時は、空き部屋で電話がついていなかったんですが、私達がインターネットをしたいといっていたので、わざわざ私達のために新しく電話を引いてくれていて感激をしました。デジタルビデオのフイルムは映し終える度に大分のコアラ事務局に郵送し、インターネット放送で使かってもらいました。
今は何処へ行くにもデジカメ持参です。ホームページで発信するようになっていろんなことに興味を持つようになりました。もともと好奇心は旺盛な方ですが、HPに書くとなると、いい加減なことは書けませんので、分からないことは、聞いたり調べたり、メモをとる習慣も身についてきています。
そんなことで、コアラ事務局からレポーターという肩書きもらってしまって、名刺に書き込み、そしてお金まで頂いていた時もありました。取材をしてきては、HPを作ったり、インターネット放送のパーソナリテイーとして出演をしたり、とっても楽しかったです。
でも、お金に変えられない体験などたくさん出来て何だか申し訳なくて今はお金を頂くことは辞退していますが、もう少し若かったらもっと貪欲にインターネットでビジネスなんか始められるのに、なんて思うこともありますが、まあ、楽しみで出来ているからいいのかなと思っています。
アメリカでたくさん写してきたビデオなど、いまだにインターネット放送に活用してもらっています。インターネット放送というのは、リアルプレイヤーというソフトを使ってインターネット上で見ることの出来るテレビのようなものです。
この特徴は、いつでも好きな時に見ることが出来るオンデマンド、ということが出来ること、そしてインターネットですから、世界中から見られるということがあります。海外のニュースなどテレビより早く見られるというのでとても好評な仕組みですね。
アメリカから帰ってきて、旅行の記録を夫と二人で長い時間をかけて楽しみながら作り上げました。時々、WEB上で見てはまたアメリカに行きたいなと話しています。
今年は4月の一ヶ月間、オーストラリアへ旅行をしました、やはりパソコンなど一式を持って行きましたが、最初、数日はHPもアップ出来たのですが途中からどうしても接続がうまくいかず、インターネットが出来なくなりとても残念でした。でもホームページ作りは続けていました。
毎月、月末の真夜中には来月号をアップすると自分で決めてそうしてきていますが、少し遅れると、「まだ、変わっていないよ」とメルボルンからメールがきます。そしてしばらくすると、「昼の休みに見たら変わっていた」とメールがきます。そんな言葉もとってもうれしいんです。それでいつも月末の真夜中に更新をするようにしています。だから月末には旅行も出来ないんです、大晦日にもちゃんと新年号に更新しています。
オーストラリア旅行に出かける時も夜中に4月号を更新して、そして翌朝の1日に出発をしました。
オーストラリアでもたくさんのメール友達に会いました。メルボルンで3組の方に、アデレードでは二組の方に会いました。皆さんご家族で迎えて下さるので、実際にお会いした方々は、随分たくさんになります。
そんな中で一番古くからの友人は「まだHPが変わっていないよ」と言ってくる人でお菓子やお花の大好きなメルボルンの男性、ちょっとおもしろいでしょう?日本のまあ普通の常識からしたら、ちょっと違和感。でも、こんな風に、いろんな人がいるんだなってことを感じられるのもインターネットだからだと思っています。だからますます楽しいんですね。
私のお菓子のページを見て、僕はこんなお菓子を作ります、ってメールがきて、よく判らないと返事を書くと、とうとう手書きのレシピや写真が送られてきました。それで私は、手に入る材料でそれらしきお菓子を作って、それをまた、絵に描いてホームページに載せましたら大変喜んでくれました。
また彼はマラソンをしていて、別大マラソンのことを聞いてきました。そこで、別大マラソンの日は、毎年テレビとにらめっこ、夫が途中経過のタイムなどをメールで彼に書き続けます。
そんなこんなでとても親しくなって、いろいろ家庭の話しなども詳しく聞くようになり、親近感が沸きました。今回の旅行で彼の家を訪問することが一番の楽しみでした。彼は最初に送って来たレシピのお菓子を焼いて私達を迎えてくれました。本当にうれしかったです。
またメルボルンに行くとHPに書いていたのを見てメールをくれた若い女性には今、どんな服を着てますか?寒くなってますか?あちらは日本と逆で秋になる所でしたから、そんなことをメールで聞きながらオーストラリアへ持っていく服などを決めました。その人とはメルボルンのホテルで会いました。ご主人の仕事の関係で駐在している人で小さな女の子二人を連れて会いにきてくれました。
オーストラリアでは自宅に招待して下さった方々、野外のバーベキューパーテイーに連れて行って下さった家族、また、これからの老後は広いオーストラリアを気ままに夫婦でキャンピングカーで走るんだと家を売ってしまったご夫婦など、いろいろな人、いろいろな生き方にも触れることが出来て、インターネットをしていなかったら、HPを発信していなかったら、決して知ることの無かった、出会うことの無かった人々との出会いがあって、私たちも夫婦でインターネットを楽しんでいて本当に良かったなと思っています。
今は、こんなに楽しいインターネット、そして便利なインターネットをもっともっと大分の人たちに便利に使ってもらいたい、そしてその中からこの大分がもっと楽しい所になり、そして大分に住んでいることが、とってもうれしいことと思えるようなそんなネットワークが作れないかなと、若い仲間達と相談している所です。実現するかどうか分かりませんが、でも、そんな話しをするのはとっても楽しいことです。
私のホームページは難しい技術は殆ど使っていません。出来るだけ、マウスで描いた絵を載せたいと思いながら、最近は少しさぼっているなと反省をしています。また誰に知らせたいのか、その相手を思いながら、絵や文章を書きます。そうすると、いろいろな方が喜んで下さいます。いつまでこのホームぺージ作りは続くのかなと思いますが、次々と楽しい人の輪が出来ていくのでやはり当分は作り続けるだろうなと思います。
私はパソコンに向かう時、いつもパソコンの向こうには人がいる、と思っています。
インターネットによる犯罪もいろいろと目に耳にするこの頃ですが、実社会と同じです。いつもパソコンに向かうときは、自分の責任で、細心の注意を払い賢い使い方を心がけていたらこれほど便利な楽しいものはないでしょう。
どうぞ皆さんもホームページ作りを覚えて下さって、楽しい仲間つくり、新しい自分の世界を発見して下さいませ。