韓国の印象

2000529日 永野建一、美恵子

(Mieko)がはじめて韓国の土を踏んだのは、19803月、アメリカへ行くためのトランジット客としてキンポ空港へ降りた時でした。その時は、空港内にたくさんの兵士が銃を構えて警護しておりその側を緊張して歩いたことを今も鮮明に思い出すことが出来ます。

その後、本当の観光で私達夫婦が韓国へ出かけたのは199211月でした。パソコン通信で知り合った若い友人に会うこと、初めてのソウル観光をすることが目的でした。その時には、キンポ空港も大きく新しくなっていて、兵士の姿もなく、明るい雰囲気が漂っていたのがとても印象的でした。

しかし、博物館や昌慶宮を見学して韓国と日本のつい数十年前の関係が韓国ではまだ現在の問題としてあることを目の当りにして大変心が痛みました。しかし、その若い友人はとても礼儀正しく私達をもてなしてくれて感激をしました。

それから、数年おきに御地を訪れています。それはどうしてかと考えてみました。やはり、韓国は大陸の文化を日本へ伝えてくれた国としてとても親しい気持ちが強いことが大きな理由としてあります。その上、近いこと、食べ物がおいしいこと、友だちがいることなどが何度も訪れたいと思う理由に挙げられると思います

インターネットを通じての交流としては、私達の大分の仲間とソウルのインターネット愛好者との交流会のために2度ソウルを訪れました。また、日韓テレビ会議(Nov.’98)でも交流をしました。ご一緒にソウルのサッカー場も見学に行きました。(Aug.’99) 2002年のワールドカップサッカーの日韓共同開催を通じてますますその関係は深くなっていくと思います。

韓国の人々は大変親切です。乗り物に乗っても、若い人はすぐに席を譲ってくれます。またある人は、荷物をひざに乗せなさいといってくれます。言葉はわからなくてもその親切な気持ちは通じます。ああ、やはり韓国は礼節を重んじ、年長者を尊敬する良い風習が若い人々の間にもしっかりと根付いているんだなと実感できました。

また、電車の駅名がわからなくて不安げにしていると、そばに居た人が私の地図を指差しゆっくりした英語で「いまこの電車はこのあたりを走っています」と教えてくれました。こんなちょっとした親切が旅行者にはとてもうれしいものです。

最近ではインターネットで知り合った人に会うために私たちは馬山に行きました(April ’99)。その人は昌信大学の新進気鋭の教授で、英語の教科書作成のために私たちが関係しているあるホームページの一部を引用したいということがきっかけで知り合ったのです。

彼は私達を非常に親切にもてなしてくれました。大学で多くの方々に紹介して下さったり、韓国と日本との様々な交流の歴史を知ることの出来る博物館や史跡を案内してくれたばかりでなく、自宅にまで招待してくれて家族の皆さんからも歓待を受けました。おかげで私たちは韓国という国をますます好きになる事ができました。

韓国を旅行していて一番困ることは、私たちにはハングル文字がまったく読めず、ガイドなしではほとんど身動きがとれないということです。地名や公共施設などは、もう少し外国人にもわかるようになっているといいと思います。英語の標識があまりにも少ないし、また漢字もほとんど見かけませんでしたがなぜなのでしょうか。地図と看板や案内図が世界の共通語である英語と、韓国、中国、日本で共通認識の出来る漢字とで書かれていたらもっと分かりやすいのではないかと思います。そうなれば私達外国人ももっと安心して町が歩けるかと思います。

もう一つ、町を安心して歩くには、公共のトイレがもっと必要かと思います。そして掃除、手入れが行き届いていることが大切です。安心といえば、夜の繁華街で警官が巡回してくれている姿によくあいました。これはとても気持ちの落ち着くものです。

私たちには韓国に大勢の友人がいます。パソコン通信やインターネットで知り合った多くの人たち、ホームスティに来てくれた高校生や大学生などです。私達はこの多くの友からとても親切にして頂いています。また若い友人たちはきっと将来、韓国のためにこの地球のために立派な仕事をする人になってくれるだろうと思うととてもうれしくなります。こうして韓国について書いていますとまた韓国に行きたくなりました。